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03 地理のとりこ〜地図の魅力に目覚め 面白かった野外巡検

03-ichikawa-0522.jpg 私がそもそも地理学というものに興味を持つようになったのは小布施小学校時代、昭和10年代のことです。当時、郷土学習が盛んで、高学年になると、各市町村ごとに編集された『郷土学習帳』というテキストを使っての授業がありました。また各小学校には郷土にまつわるミニ博物館のような「郷土室」が設置されました。

 なぜこういうことをしたかというと、昭和恐慌への対応です。官民挙げて、いろいろな方面で「経済更生運動」が行われていました。「蚕糸王国」と呼ばれるくらい養蚕と製糸業に依存していた長野県の打撃は特に大きく、単一生産の農業を改めて適地適作が奨励されていたのです。そのため、まず郷土について学ぼうという、教育分野での更生運動の一環だったわけです。 

 すごかった郷土地図
 私は「郷土地理」の授業に夢中になりました。この時に使った地図がすごかった。家の庭先の幅1メートルほどの用水路や、水車小屋まで記載されていたのです。普通だと果樹園としてまとめられたり、山林になる。またリンゴは果樹園です。栗は栗園として区別されている。自分の家も形まで分かるくらい。商店のある辺りは「街村」、周辺部は「路村」。「そうか、ウチは路村か」と感動して見入っていました。

 この地図は、小布施小の先生方が放課後、外に出て実測した1万分の1の地形図を村役場が刊行したものでした。陸軍省陸地測量部作成の5万分の1が普通だった当時、こんな地図を作って使っていたのは、郷土学習が特に盛んだった小布施小と上伊那の赤穂小だけでした。面積にすると25倍という差ですから、小学生が地図の魅力に目覚めるのには格好の教材でした。

 そして「野外巡検」というフィールドワークは、地図にも増して面白かった。小布施は早くから市場経済に関係してきたせいで見学先も多彩でした。製油工場では、炒った熱い菜種を大きな石臼でひく水車の出力のすごさにびっくりしたものです。千曲川沿岸は、菜の花が一面に咲くことから「黄金島」と呼ばれ、菜種から油を搾る業者が村内に30以上ありました。

 動力源は水車。小布施には、住宅を造る一般の大工のほかに船大工と水車大工がいて、水車大工は戦後までいました。米と麦で自給していると外に大きく伸びることが難しいですが、地域の風土に合った作物を栽培して、しかもそれを加工する産業が発展していたわけです。

 村山鉄橋の長さ測量
 地理のとりこになってしまった私は、確か5年生の時だったと思います。村山の鉄橋の長さを測ろうと思いつき、友達と2人で往復10キロの道のりを、当時としては珍しかった子ども用自転車に乗って行きました。車道と線路が並行した唯一の鉄橋で長さも日本一だと話題になっていたので、調べてみようと思ったんです。

 測量に使ったのは襟巻きでした。自転車を止めて襟巻きを外し、鉄橋の端から端までの長さを測りました。814メートルあることを確かめて満足して家に帰りました。このころにはもう「地理の道に進みたい」と思っていました。私にとっては生涯を決めるような郷土教育との出合いだったわけですが、かといって一緒に学んだ仲間で地理屋になった人はいませんでした。
(聞き書き・北原広子)
(2010年5月22日掲載)
 
市川健夫さん