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05 長野商業学校の設立認可

 1898(明治31)年以来の懸案であった長野市立乙種商業学校が1900年5月31日、設立が認可されました。そして同年6月11日、仮校舎の長野中学校で開校式が挙げられました。
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 これは長野市の実業教育発展の上で画期的なことでした。開校式には長野市長・鈴木小右衛門、監督の三好愛吉、まとめ役の渡辺敏(はやし)および教員5人と生徒20人が出席しました。

 鈴木市長は祝辞の中で関係者に感謝し、生徒を激励しました。渡辺が経過報告をし、今後の計画と生徒心得について話しました。

 〈1900年に定められた最初の規則〉
 修業年限 3年
学年の始期4月1日
入学者の資 格 高等小学校2年  修業者
 他は試験によって決 
 定
 学期と授業日数 1
 年を3学期 40週
 学科目 乙種だが甲
 種程度

 長野商業学校は独立校舎がないまま開校したので、校舎と教場の確保に大変苦労しました。

 最初予定していた城山にあった長野高等小学校が使用できず、やむなく隣接の長野中学校校舎の一部を仮校舎として使用。しかし1年足らずで、翌年4月にはやむを得ない事情で西後町の正法寺(=しょうぼうじ、現本願寺別院)の庫裏の一部を借りて仮校舎としました。運動場は約120メートル離れた現後町小学校の場所にあった長野尋常小学校の校庭を使いました。

 その後、02(明治35)年4月1日、正法寺から城山の長野高等小学校内の元長野高等女学校跡へ移りました(長野高女は1896年創立以来ここを使用し、新校舎が現在地=箱清水の現長野西高等学校=に完成し、そこへ移転した)。

 それから5年後の1907年3月、南長野(妻科上野原)に木造2階建て1棟の新校舎が竣工し、城山の仮校舎から移転しました。

 長野商業学校は乙種商業学校としてスタートしましたが、その教科課程は甲種と同じくらいの水準でした。そこで文部省から鈴木市長に対し、「乙種でありながら甲種程度の教科目を教えるのは不都合ではないか」との質問が寄せられました。それに対して市長は「学校設立の際、甲種程度を目標にしており、本年中にも甲種に昇格することを見込んだから」と答えています。

 長野商業学校が甲種になったのは01年9月10日のことでした。