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06 松本重義先生〜ロマンあり面白く 地理の授業に衝撃

06-ichikawa-0612.jpg 小学校で地理に興味を持った私が須坂中学に入って衝撃を受けたのは、松本重義先生の地理の授業でした。須坂中学の先生は半分くらいが県外の出身で、松本先生は神戸の方でした。それもあってか、地理の授業も日本全域、あるいは世界地理なら世界全域から見るという視野の広さがあり、時にユーモラスな説明も交じって大変に刺激的でした。

 初回のフォッサ・マグナの話から強烈で、今でもよく覚えています。フォッサ・マグナというのはラテン語で、日本語にすると「大地溝帯」です。ここは500万から170万年前までは海だったのが、隆起して筑摩山地などになったというのです。

  日本列島形成の要
 ですから地質が弱く、八ケ岳や富士山などの火山が噴出しています。この富士火山帯と呼ばれる火山群は、妙高火山群から八ケ岳、富士山、箱根山、伊豆半島、伊豆諸島、小笠原諸島からマリアナ諸島までの3000キロに及んでいるということでした。世界一長い火山帯です。長野県を含む中部地方が、現在の日本列島を形づくる要だったとは。地理学のロマンと面白さに、ますます胸が高鳴る思いでした。

 富山湾と駿河湾が深いのもフォッサ・マグナの名残です。お手元に地図があったら開いて見ていただきたいのですが、佐渡の国中平野と能登半島の邑智潟(おうちがた)地溝帯の形を見ると、もともとはつながっていた。地形や地質、地名にも共通点が多く連続していたことは明らかです。

 地図によっては佐渡島を枠内に入れていますが、これでは能登半島からの距離と位置を正しく反映していません。能登半島と佐渡島が別のページになっているものがあります。これでは地形の連続性が分かりにくい。

 「佐渡おけさ」に「佐渡は四十九里波の上」というくだりがあります。四十九里というのは能登半島からの距離です。「里」の単位は、万里の長城を計るときの中国の里。メートル法で計算すると百キロで、佐渡の小木(おぎ)と能登の珠洲(すず)間の距離になるわけです。

 フォッサ・マグナについて解説しながら、このように民謡を用いて、半島と島を地理的な因果関係から見て興味を持たせるという松本先生の講義により、私はすっかり地理のとりこになってしまいました。

  県内は東西文化の境
 フォッサ・マグナを境に分けられる東日本と西日本ではさまざまな文化の違いがあります。特に長野県は県内にその境がありますから、東北信と中南信では文化や生活様式の面で異なる点が多々見られます。

 例えば大晦日の夜に食べる「年取り魚」は、東日本では鮭、西日本では鰤です。鮭は上越の高田平野から飯山、長野、上田、佐久という東北信で食べられています。東日本では、定置網で秋から初冬にかけて鮭が大量に捕れたことから年取り魚として利用されてきたわけです。

 一方の鰤は、寒鰤が佐渡や富山湾から関西地方に送られていました。鰤文化圏の東の限界は糸魚川平野、松本盆地、諏訪、伊那など中南信地方です。この地方で鰤を「ハレの食」として用いる上方文化の影響が強いことは、飛騨高山で開かれていた鰤市に松本などから魚商人が買い付けに行っていたことからもうかがい知ることができます。
(聞き書き・北原広子)
(2010年6月12日掲載)
 
市川健夫さん