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09 麻績城(麻績村)〜北国西街道の要衝、武田・上杉が争奪

0109-yamajiro-08.jpg 旧麻績宿は「北国西街道」と呼ばれる善光寺みち沿いの麻績村にあり、宿場通りのほぼ中央に「麻績城入り口」の標識がある。

 聖山から発した尾根が狼煙山(のろしやま)を経て宿場通りの後背まで張り出していて、その途中に城跡がある。標識に従って小路に入ると現在は民家となっているが、麻績城主・服部氏の居館跡があった。

 さらに車道を1キロほど進むと城山の麓に至り、数台の駐車スペースがある。約20分で城山と狼煙山の分岐点である稜線の鞍部に着くが、歩道は急斜面でつづら折りの急登である。

 ここから尾根筋の歩道を登ること20分程度で本丸に至る。本丸は老松が林立する峰筋から少し下った場所にあり、南北の両側が切り立った急崖利用して築城したことがうかがえる。

 本丸は20×40メートル程度の削平地で、東西の尾根筋には多くの城郭の遺構が見られる。木々の間には麻績の谷間を貫通する長野道や、点在する集落、緑濃い里山が眼下に広がる。

 麻績城は武田氏の信濃侵攻が北上の途にあるとき、それを阻止する上杉氏との接点に当たる山城で、何回か奪い合いがあった。

 1553(天文22)年、武田軍との戦いに敗れ、坂城の葛尾城が落城したとき、麻績城主の服部氏は村上義清と行動を共にし、越後春日山城の上杉氏を頼り、この地を去った。

 武田氏滅亡後は上杉氏の支配となり、服部氏は当地に復帰したが、今度は上杉氏に反旗を翻し、敵対していた松本の小笠原氏に付いたため、上杉景勝が麻績城を攻撃し、服部氏は滅亡したという城歴がある。

 帰路は狼煙山まで足を延ばしたが、三角点があるのみで遺構らしきものは皆無であった。城跡から狼煙山までは約30分。

 旧宿場通りの西の外れには信濃一番札所の法善寺がある。山門をくぐると正面に本堂があり、一番札所にふさわしい立派な伽藍を持つ名刹である。

麻績宿の背後に連なる城山(正面)と狼煙山(右)