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12 萩野城(七二会)〜長野市内最高所の山城

zoku_yamajiro12.jpg 萩野城は長野市七二会にある戸屋城に本拠を置いた春日氏の築城といわれている。春日氏は鎌倉時代から文献に登場しており、戦国時代に至り七二会ほか21カ村を所領したという記述が見られる。

 佐久の出身である春日貞幸が鎌倉時代の「承久の乱」の戦功により春日郷を与えられ、戸屋城を築いたのが春日氏の始まりといわれている。戦国期中ごろまでは村上氏に属していたが、武田氏の信濃侵攻が身近に迫ってくると武田氏に下り、武田氏の没落後は上杉氏に付いたと書かれた書物もあるが、村上氏の没落後に春日氏も断絶したという記述もある。

 高野山蓮華定院に伝わる「信濃村上一門鎧(よろい)合せ図」を模写したものが坂城町郷土博物館に展示されている。それによると、村上義清18将の中に春日幸正の名が見られる。村上氏が隆盛を極めていたころ、春日氏は村上氏の旗下にあって主要な武将でもあった。

 萩野城へは国道19号を南下し、犀川に架かる明治橋を渡り、すぐに右折して七二会へ向かう。市場集落を経て陣場平に上り詰めたところに駐車場がある。標識に従って陣場平トレッキング「萩野城コース」から城跡を目指す。城跡までは約30分。
 城跡は東西の2つのピークで構成されていて、西峰に本丸、二の郭、曲輪、堀切、東峰には脇郭の遺構が見られる。城跡の標高は1184メートル。長野市内では最も高所に位置する山城と書かれている。

 この城は戦いのための城ではなく、春日郷の農民たちが自衛のために築いたとも案内にある。春日氏の本城は橋詰集落の外れにある戸屋城であるが、戦国期のいずれの時か笹平城に移転したため萩野城は廃城になったと思われる。

 信濃教育会編纂の書籍によると、春日氏は室町時代中ごろに越後から来て戸屋城を築いたのが春日氏の始まりという説で、佐久の春日郷との関連については触れていない。諸説があり、謎多き春日氏と言わざるを得ない。
(東信史学会会員)