
平安時代、中国に留学した最澄が設立したのが天台宗。昔から『王城鎮護の霊山』と呼ばれた比叡山=日枝の山と呼ばれた=に大伽藍を誇る延暦寺を建立した。ところが既に地主神として「大山咋神(おおやまくりのかみ)」と「大物主神(おおものぬしのかみ)」が祭られていたので、両神を「山王」と呼んで延暦寺の守護神として処遇した。渡来してきた仏教が神様を家来にしたのだが、これが神仏習合=神仏混淆の始まりだ。
山王さんはお釈迦様の仮の姿であるとか、その理屈付けは水と油を融合させたようなもので、まことに落ち着きがないが、天皇家をパトロンに天台宗が全国に広まると、山王信仰も「日枝信仰」とも呼ばれて人気となった。
仏教は本来、来世の安穏を祈願するものだ。「あの世に行ったら、食物や金銭、病気、愛憎の苦労なしで、蓮の台で眠りたい-」
だが「住みにくい、生き難いこの現世でも、もうちょっと良い目に合いたい-」というのも我ら庶民の願いだ。
そのため山王信仰には、鎮護国家のほか増益延命、息災という御利益が喧伝された。
本来の役どころは、寺院のガードマンなのだが、守護神役がクローズアップされ、徳川家康は支配する江戸城の八幡神(武人の神)として日枝神社を勧請した。日枝社の山王祭は、神田明神と並ぶ江戸二大祭となり、江戸城内を練り歩くほどになった。
山王信仰の要諦を分かりやすく述べると、山王の文字・字画にある。川に横棒を1本加えれば「山」。三に縦棒を加えれば「王」となる。横に限りなく広がるパワーと上下に貫くパワーが相乗して、尋常ではない御利益があるとされる。
近くに「山王の森」のある山王小学校の卒業生なら、勇気百倍の佳話ではないか。
(2010年1月9日号掲載)