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097 吉田神社〜神々祭りにぎやかな境内

rekishisanpo97_01.jpg 吉田1丁目の旧北国街道に面する皇足穂吉田大御神宮(すめたるほよしだおおみかみのぐう)、通称・吉田神社の境内はにぎやかだ。

 立派な本殿=写真上=は天照大神(あまてらすおおみかみ)だが、東南の隅から火伏(ひぶ)せ(防火)の秋葉さんが数柱。さらに天神さん、金比羅(こんぴら)さん、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)、お稲荷(いなり)さんの隣には聖徳太子のお宮もある=同下。全国60余州の「一の宮」に見立てた石の祠(ほこら)の列にも驚かされる。

 「どうして、こんな面白い神社ができたのですか?」。地元の有識者に尋ねても、それがよく分からない。口碑伝承をまとめると、こんな次第だ。

 昔、大きなイチョウを氏神さんとして拝んでいたのが、この地区のご先祖たちだった。吉田小学校の南で、小さな祠を中心に生活していた。ところが、大雨で浅川が乱流し、頻繁に洪水に襲われる。 

 「氏神さんと、もっと安全な土地(上町(かんまち))に引っ越そう」「そうだ、新しい北国街道のそばがいい」「田畑が広くできる鍋屋(なべや)(長野運動公園の西側)に行こう」。古い住民はそれぞれに移住した。江戸時代の正保年間(1644--47)といわれる。

 古くは鎌倉幕府の史書『吾妻鑑(あづまかがみ)』の文治2(1186)年の条に「佐馬寮(さまりょう) 吉田牧」が登場するのだが、川中島合戦の兵火で社殿が焼かれ、善光寺地震では倒壊し、記録・史料の類(たぐい)が少ない。

rekishisanpo97_02.jpg 近世の社殿移転や明治時代に神様が整理された時、辻々や豪農の敷地にあった神様が境内に統合・整備されたらしい。戦前の社格は村社で旧吉田村の鎮守(ちんじゅ)にすぎないが、『長野県町村誌』(1936年刊行)には、巨樹が茂る境内が、有名な寺社と並んでカラー絵図で掲載されている。

 吉田地区は広大な農村地帯に発展した。北国街道に加え、旧国鉄や長野電鉄の駅が設置され、物流・商業の要衝になる。「秋の祭礼行列は盛大で、由緒のある鍋屋や上町住民を先頭に、今も町内を練り歩いています」と古老は語る。

 吉田地区の古代・中世の歴史は推測するしかないが、樹齢千年ともいわれる吉田の大イチョウなら、知っているに違いない。
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