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01 「地理屋」一筋〜自然と人間の関係を追求

01-ichikawa-0501.JPG 地理学者はよく自分たちのことを、少々卑下した言い方で「地理屋」と呼びます。私は今年82歳になり、さすがに野外を歩き回るフィールドワークはできなくなりましたが、講演に呼ばれると出掛けたり、雑誌の連載を抱え、毎日書斎で書き物をする地理屋の生活を続けています。

 書斎の隣は書庫で、2万冊を超える蔵書が私の自慢です。最近、これまで発表してきた本や論文やエッセーなどを年代順にまとめた目録を作っていただきましたが、目録だけで小冊子になる量に達していました。

 地理屋には大きく分けて二つの分野があります。自然地理と人文地理ですね。自然地理は皆さんご存じのとおり、地形や気候などを研究対象とするもの。海洋学なども含まれます。これに対して私の専攻は人文地理という分野です。簡単に言うと「自然と人間の関係を見ていく学問」です。

 この人文地理学という視点で、例えば私の出身地であり、現在の居住地でもある小布施という地域を見てみますと「外に開かれた農村」と言い表すことができます。米や麦を作って自給自足していた農村は、外部への開放度が低くなりがちですが、小布施は違います。

 小布施では古くから商品作物の栽培が盛んでした。代表は菜種と綿花。千曲川流域で菜花を栽培して菜種油に精製し、その搾りかすを綿花栽培の肥料にしたわけです。江戸時代から小布施の商人は日本橋辺りで店を開いて、こちらから運んだ商品を売っていました。そこで須坂から大笹を経て高崎に至る大笹街道には「油街道」、上信国境の鳥居峠には「油峠」というニックネームが付きました。

 葛飾北斎が小布施を訪れ逗留したのも、人の往来が盛んで新しいものを受容する場所だったからと考えることができます。小布施町人の意識として、江戸は遠い所ではなかったのです。

 こうして自然と人の関係を見ていくと、研究テーマは無限です。対象を広げて信州の特徴、地域性を対象にする学問には「信州学」と名付けました。なお遠山郷を「日本のチロル」、木祖村を「日曜画家の村」と名付けたのも私です。丹念なフィールドワークをしていると、地域の特性にぴったりの言葉が浮かんでくるのです。

 私は日本全国、世界各地を歩いてきましたので、研究の裏話も折り込みながら人文地理の持つ魅力を皆さんにお伝えしていきたいと思います。
(聞き書き・北原広子)
(2010年5月1日掲載)

市川健夫さん略歴
1927(昭和 2)小布施町に生まれる
1934(9)小布施小学校入学
1940(15)旧制須坂中学校入学
1944(19)中学4年修了で東京高等師範学校地理学科に入学
1948(23)東京高等師範学校を卒業し、都住村立中学校教諭
1949(24)須坂西高校教諭
1950(25)秋山郷・菅平高原の調査を始める
1952(27)信濃教育会教育研究所に出向
川上久美子さんと結婚
1965(40)「日本の中央高地における高冷地農業の諸類型」で東京
教育大学から理学博士の学位授与
長野高校教諭
1966(41)信州大学文理学部・教養部非常勤講師(〜1973年)
1968(43)長野県総務部事務吏員、『長野県政史』全4巻を編集(〜73年)
1973(48)東京学芸大学助教授
1977(52)東京学芸大学教授
『日本のサケ−その文化誌と漁』刊行、5万部のヒット作に
1981(56)東京大学教養学部・理学部非常勤講師(〜89年)
1985(60)「信州学」の論考を始める
1987(62)『ブナ帯と日本人』刊行、6万部のヒット作に
1991(平成 3)信州短期大学学長(〜95年)
東京学芸大学名誉教授
1994(6)県立歴史館館長(〜2005年)
 
市川健夫さん