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01 民主主義〜中高生時代に姿現し驚愕

 01-chino.jpg終戦の年、私は小学6年生でした。親父がサラリーマンで転勤先の岡谷市に住んでいましたから、畑も田んぼもない。食い物がなくて苦しかった体験と、どうしてこんなひどい戦争をしたんだという、子どものころからの疑問。この二つが今日の私という人間をつくった原点です。

 旧制諏訪中学から諏訪清陵高校の6年間で、私の原点に光が当たりました。日本に初めて導入された「民主主義」教育のおかげです。日本国憲法発布から間もなくですから、汚れのない民主主義が私たちの前に忽然と姿を現したわけです。

 中学入学当時は教科書の改革で製本が間に合わなかったんでしょうね。新聞紙くらいの茶色の紙に何ページ分かが印刷してあって、それを自分たちで切って作った教科書で学びました。それから1年後、立派に製本された「民主主義」という教科書を読んだとき、「こんな社会があるんだ」と驚愕したのをよく覚えています。

 つまり、自分自身で考え、その考えを堂々と表現すべきことを、それまで知らなかったのです。ただ私の年代は軍国主義教育を徹底的に刷り込まれたわけでもない。白紙が、いきなり民主主義という絵の具一色で染まったようなものです。今の私という人間の8割は、この中・高生時代に出来上がりましたね。

 一体、あんな戦争がなぜ起きたのか。どうしてもそれを知りたくて東京大学で政治学を学びました。その後、八十二銀行頭取の時代に、長野県環境保全協会を設立したり、田中康夫さんを知事選候補者として担ぎ出したりしました。

 環境問題は、高度経済成長の始まったころから、経済一辺倒で自然が破壊されていくことへの怖さを感じ、企業もこの問題に責任を持って取り組むべきだと訴え続けてきました。現在は、この協会の活動に一番力を入れています。

 田中さんの選挙ではマスコミに騒がれましたね。選挙活動は個人の立場で行ったものですが、頭取という社会的地位があってこその影響力でした。立場に応じた責任を果たすこと。これも私が大切にする信条です。私の生きてきた時代と私自身を語ることも責任の一端と考え、このシリーズの取材をお受けしました。
(聞き書き・北原広子)

1933(昭和 8)岡谷市に生まれる
  40(15)岡谷小学校入学
  45(20)神科小学校(上田市) 一時転校
  46(21)旧制諏訪中学校入学→1949年諏訪清陵高校
  52(27)東京大学法学部政治科入学
  56(31)八十二銀行入社
  59(34)檀原孝子さんと結婚
  77(52)八十二銀行県庁内支店長
  79(54)  〃  東京事務所長
  82(57)  〃  資金証券部長
  86(61)  〃  取締役 上田支店長
  87(62)  〃  取締役 本店営業部長
  89(平成元) 〃  常務 国際部長
  91(3)   〃  副頭取
        長野県法人会連合会会長(〜2001年)
        長野商工会議所副会頭(〜1994年)
  94(6) 八十二銀行頭取
        長野県経営者協会副会長(〜2003年)
        信州経済同友会副代表(〜2004年)
  98(10)長野県環境保全協会設立、会長
2000(12)知事選に仁科恵敏長野商議所会頭(当時)らと田中康夫氏を擁立
        田中氏が初当選
  01(13)八十二銀行会長
  03(15)  〃  顧問
        勲三等瑞宝章受章
        長野県赤十字有功会会長
        信州大学経営協議会・学長選考会議委員
        長野県EU協会副会長
  04(16)県政を憂慮する要望書を仁科氏と共に田中知事に提出
        長野県日独協会会長
        諏訪清陵高校同窓会副会長
  05(17)田中県政を批判する意見広告を新聞に掲載
        八十二銀行退社
(2009年10月31日号掲載)
 
茅野實さん