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05 蝶に魅せられ〜最初は兄に連れられ 今も足が抜けずに

05-chino.jpg 私は八十二銀行頭取時代に「長野県環境保全協会」を設立しました。まだほとんど環境問題がマスコミなどに取り上げられない時でしたが、どうしてもやりたかった。

 ご協力をお願いする手紙を、お付き合いのある企業の社長さん方に書きましてね。協会については後にお話ししますが、私が環境問題に取り組まなければと感じてきたのには、やはり子ども時代の体験が元です。

 小学2年生のころ「そろそろお前も山を歩けるだろう」と兄が蝶々採りに連れて行ってくれました。これがきっかけで私は蝶から足が抜けなくなってしまったんです。兄は生物学者になりましたが、私はもっぱら趣味で蝶を追いかけ、今も東南アジアなどに蝶々採りに出掛けています。

 4年生だったでしょうか、一人で山歩きができるようになり、こうなると、のめり込み方に拍車がかかります。

作品信じてもらえず
 確か、その年の夏休みの宿題でしたね。自分で採った蝶をきれいに展翅して名前と採集日、採集場所を付けて先生に提出しました。すると「お前が自分でできるはずがない」と信じてくれないんですよ。兄にやってもらったんだろう、と。信じてくれない先生に腹が立って、もう誰にも見せないと心に決めたことを覚えています。

 もっとも兄貴というお手本があったから普通の子どもの作品に比べれば、突出していたんでしょう。先生だって、蝶の羽を広げる道具があることなど、知らなかったのかもしれません。

 その道具を使って羽を整え、菓子箱の中に標本を並べるなんてことをやっている子はほかにいませんでした。私は兄の道具を借り、図鑑も兄のを盗み見してはこんな蝶が採れたらなあとあこがれて名前はもちろん、沖縄、北海道、それから樺太、朝鮮に至る生息地や食草までも覚えました。

 蝶の標本は、薬を使わなくていいんです。胴体をしばらく押さえているだけで死んでしまいますからね。蛾のように胴体が太いと腐敗防止の薬を注射しますが、蝶はそんな必要がありません。

 虫捕りネットが欲しくても、買ってもらえるような時代じゃありません。だいたい、そんなものは普通には売っていない。どうしたかというと蚊帳です。当時はどこの家でも使っていたので、古くなったのが一つや二つはあります。

蚊帳切って捕虫網に
 蚊帳を切って袋状にし、輪にした針金に取り付ける。自分じゃ縫えないから、母ちゃんに頼むと「またかい」なんて言われましてね。

 捕虫網など、まともな道具が使えるようになったのは中学2年のころからだったと思います。私を蝶の世界に誘い込んだ兄の方は蝶をやめ、道具一式を私にくれたのです。

 中学・高校時代の私の生活は蝶一色のようでした。とは言っても、蝶ですから十分にカラフルですね。兄貴のお下がりの道具が使えるようになった上に、迷わず入部していた生物部では、先輩や仲間に恵まれました。

 部内に蝶のグループがあって、今では蝶類研究の第一人者となっている浜栄一さんも先輩の中にいらして、「そうか、お前も蝶々採るのかい」と仲間に入れてくれ、いろいろ教えてもらいました。
(聞き書き・北原広子)
(2009年11月28日掲載)
 
茅野實さん