
中学入学の1946(昭和21)年は、ちょうど軍国主義教育から民主主義教育への転換の年です。2年、3年になると新しい教科書がそろってきて、中でも衝撃的だったのは『民主主義』というタイトルの上下2巻の厚い教科書。理想的な民主主義の考え方が高らかに生徒に伝授されたという点で、私たちは民主主義の体現者になるべき年代といえるのかもしれません。
教えられた権利と義務
それまでの「修身」に代わり、自由・平等・友愛という理念から、基本的人権、信教や表現の自由、人民主権など、民主主義社会における人々の権利と義務を教えられました。軍による戦意高揚のプロパガンダについても書かれていて、偉そうな軍人がラッパを吹いているような挿絵も覚えています。
民主主義って何と素晴らしいんだと、ショックを受けましたね。もともと、言いたいことを我慢するような性格ではなかったですが、自分の意見はきちんと言うことや、言ったことには責任が伴うということが民主主義の基本にあるということも分かってきました。
中学よりさらにいろいろなことが分かってくるのが高校時代です。新しい学制への切り替え時で中高一貫だったのも幸いでした。つまらない受験勉強に時間を取られることなく、学友や先生との関係も親密というか、独特の空気がありました。
感化受けた「牛正先生」
地学の教科担任で、生物部の顧問でもあった牛山正雄先生からは大きな感化を受けました。トラック島の戦地から戻った方でクリスチャン。しかしキリストの話や戦争体験を直接語るようなことはなく、人はどんな時に悲しみ、どんな痛みを感じるかなどを、例を挙げながら授業の中に織り交ぜる先生で、ヒューマニストでした。私たちは「牛正先生」と呼び、今でも尊敬しています。

諏訪清陵高校には「千萬人幟」という幟旗があって行事のたびに立てるのですが、そこに書いてあるのが「自反而縮、雖千萬人吾往矣(みずからかえりみてなおくんば千万人といえどもわれゆかん)」。「自分が正しいと思ったら一人になってもやれ」という意味です。この校風の中で民主主義と人道主義の先生に出会ったことの影響は大きかったと思います。
よく映画も見ました。洋画を見ると、西洋文化が日本文化とどんなに異なるか一目瞭然です。世界の様子が本を読むよりも短時間で見えますから、林八郎君という、やはり世の中について考える友人と一緒に、入れ替えなしの3本立てなんてのを選んで見に行ったものです。
その後、東京大学の法学部に進みました。通常は官僚とか外交官とか裁判官などになるコースで、周囲には偉い人に興味のある学生が多かったわけです。ところが私は偉い人の社会にはあまり興味がない。司法試験や公務員試験を受けようとも思いませんでした。これも、中高6年間の影響でしょう。
(聞き書き・北原広子)
(2009年12月19日掲載)