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09 東京高師受験〜4年次に腕試しで 初めて一人で上京

09-ichikawa-0703.jpg 米窪先生の説得で地理学の道に進む決心をしてからは、ますます勉強に励むようになり成績も回復しました。当時の須坂中学では、試験の成績上位者2割くらいの名前が廊下に張り出されたのですが、途中から高学年全員の名前と点数が発表されるようになりました。

 こうなると、下級生に対して上級生たちの成績も一目瞭然でした。「なんだ、先輩は偉そうなこと言ってるができない」とうわさされる先輩もいました。学校としてはこうして競争心をあおったのでしょう。

全校行事で剛健歩行
 私の中学時代は戦意高揚や体力増進が図られた時期でもあり、入学早々に「剛健歩行」という長距離を行軍する全校行事がありました。須坂から村山橋を渡り、国道117号線を飯山まで歩くのです。帰りは千曲川を渡って中野で解散。須坂−飯山−中野間は40キロ歩いたことになり、へとへとでした。上級生は鉄砲を担いでいましたから、もっと大変だったと思います。

 戦争中とはいえ農村地帯ですので、食べ物でひもじい思いはしませんでした。勉強を妨げる要因もなく、不得意科目もなし。「軍人を目指す」という学友が多い中で、そちらには全く興味のない私は、4年で東京高等師範学校の受験を目指すことにしました。

 それまで旧制中学5年卒業もしくは師範学校卒業でないと受験できなかったのが、ちょうど1944(昭和19)年から4年次での受験が可能になったので、腕試ししてみようと思ったわけです。4年生になると5年生と一緒に模擬試験が何度もありました。私たちは「最後にバタバタするのは男らしくない」などと格好をつけ、試験の日は教科書もノートも持参しませんでした。

 その代わりに目覚まし時計みたいな大きめの時計をぶら下げて来ていました。私を含めて当時、腕時計を持っている人は少なく、私にとってさらなる格好づけになりました。そんなことをしながら試験に臨んだものです。

 しかし、東京高等師範の受験科目である「地理概論」の履修は5年生からです。そこで4年で受験するとなると独学するしかありません。私は「地理概論」の教科書を手に入れ、自宅で毎日一生懸命勉強しました。

 1944(昭和19)年、私は須坂中学からただ一人、東京高等師範学校地理学科を受験しました。生まれて初めての上京も一人でした。試験期間が2日間だったのか3日間だったのかよく覚えていませんが、試験方法は珍しかったので覚えています。

ペン書きだった試験
 答案用紙には鉛筆の使用が禁止され、ペンで書きました。私は字が下手ですがGペンの英習字はクラスで一番でした。ペンだと書き直しができないから書くのにも慎重になります。数学の試験では計算用紙が用意されており、それも答案用紙と一緒に提出させられました。もしも答えが出なくても計算用紙である程度までいっていれば正解の何割かは点がもらえたわけです。

 地理の入試問題の一つは「大東亜共栄圏の地図を描き、国ごとに過不足の資源を記せ」という問題でした。これですと、ペンでフリーハンドで地図を描かなくてはなりません。今でも思い出すのは「おれはできたぞ」と言っていた受験生が2次試験に姿を現さなかったことでした。
(聞き書き・北原広子)
(2010年7月3日号掲載)

 
市川健夫さん