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11 恩師たち〜最先端の地理学学ぶ 週末の巡検で新発見

11-ichikawa-0717.jpg 東京高等師範の主任教授は田中啓爾先生でした。日本の地理学界の第一人者で、専門は地誌学。地誌学というのは、地域を区分して研究する地理学の一分野です。例えばアジアなら東北アジア、東アジア、東南アジア、南アジア、西アジアというように分ける中学の社会科は、地誌学の方法論を基本にしているわけです。
 ヨーロッパに留学し、当時一流の地理学者の薫陶を受けて帰国したばかりの先生方の着任と私の入学が同じ年だったおかげで、最先端の地理学を学ぶことができました。「日本地誌」など、名講義にも感銘を受けましたが、特に面白かったのは野外巡検、つまりフィールドワークです。

ボランティアで巡検
 今はどこの大学でも授業として取り入れられていますが、当時フィールドワークはまだ単位になりませんでした。ですから授業に関係のないプライベートなイベントという位置付けで、先生方はボランティアでした。それなのに、だいたい隔週のペースで希望者を募り、助手の先生も一緒に各地を巡検しました。授業のある平日ではなくて日曜日です。

 田中先生は1年で退官され、立正大学に行かれたため、直接指導を受けた期間はわずかでした。しかし、田中先生の一番弟子の青野壽郎先生が後継教授に就任されたので、この週末のフィールドワークは、学徒動員の期間を除き同じように続きました。

 東京下町の貧民窟、浅草の簡易宿泊所の生活者の様子を見て、私の東京に対する「華やかな大都会」という印象は崩れ「東京は大きな田舎」なのだと感じさせてくれました。東京出身の学生は多かったですが、山の手の彼らにとっても知らない世界でした。都内だけでなく鎌倉、武蔵野の新田集落など、東京を起点にあちこちに出かけました。

 学徒動員で日光に送られ、工場勤務の間に農家の勤労奉仕をする時も「授業ができなくたって農業方面の知識を得られる」とポジティブに考えることができたのも、フィールドワークの経験があったせいだと思います。 

 二宮金次郎が土地区画整理事業をした日光今市の模範集落であり、田んぼの面積を条里制よりも小さくしているのは、より集約的な作業をするためだろうと理解しました。何を見ても、地理学の観点から思考していました。

引っ越しも手伝う
 田中先生からは「市川君は地理的センスがある」と褒められたことがあります。学校の成績だけでなく、学外に在る時の物の見方を含めての評価だったのでしょう。先生には研究室の本の整理を頼まれたり、退官時の引っ越し作業を手伝う3人の学生の一人としても指名されました。これも私を信用してくださっていたからだと思います。

 退官後も折に触れてアドバイスをいただき、1954(昭和29)年京都大学における「土地割り」のシンポジウムで4人のパネラーの一人に選ばれました。私の学会デビューのきっかけとなる発表をした時は、終了後に「良かった」と、うれしそうに握手を求めて来られました。

 また後継の青野先生には、博士論文のご指導をいただき、また論文『高冷地の地理学』として出版した際に序文を書いていただいています。
(聞き書き・北原広子)
(2010年7月17日号掲載)

写真:田中啓爾先生(円内)と、青野壽郎先生に序文を書いていただいた私の著書
 
市川健夫さん