記事カテゴリ:

12 新人行員〜高卒の人に劣等感 父の顔に泥塗れず

12-chino-0123.jpg 八十二銀行に入行した当時、大学卒はわずかで周囲はほとんどが高校卒の方でした。同じ年齢でも高卒の人は4年も先に入行して経験を積んでいるのですから、何をやっても高卒の人にはかなわない。劣等感を感じましたね。

お札数える毎日
 最初の配属は現金を扱う出納係でした。毎日50枚ずつお札を数える。100枚一気に数えてはいけないんですよ。コインも同じ50個ずつ。30秒で100枚数えられるようになると一人前なんですが、なかなかそこまでいかないんです。

 それにそろばんも3級にならないといけない。銀行は数字が命ですから自己流は駄目。制定数字のお手本を見て数字の練習。小学校低学年に戻った感じですね。こんなことばかりしているんなら、とても勤まらないなあと思いましたね。でも、「役員まで務めたあの茅野さんの息子が...」と言われるんじゃあ、親父も切ないだろうと思って我慢しました。

 実は入行当初に従業員組合から「お前は縁故で入ったんだろう」と言われました。「何を言うか。ちゃんと試験を受けた」と言い返したんですが、私はまだ学生気分が抜けずに「ストライキをやれ」なんてけしかけるものだから、「茅野さんの息子は左だそうだ」といううわさになりかけました。

 しかしこれも、親父の顔に泥を塗っちゃいけないと思い、おとなしく普通のサラリーマンらしくすることにしました。周りの方々は何かにつけ、「茅野さんの息子」という目で見るんだと感じ取ったんですね。

 銀行員らしさが身に付くのには時間がかかりました。入行後初めての文化祭では、まだまだ貧しい人もいるんだというメッセージを込めた出し物を企画しました。得意の絵を生かして人が入る巨大な札束を作ってリヤカーに乗せ、役員の観覧席の前に来たら、くりぬいた穴からこじきが跳び出すという趣向です。装置の製作もこじきの演技も私。銀行とこじきの取り合わせというパロディーが効き過ぎて評判はよくなかったですね。せめてもの憂さ晴らしだったんですよ。

 それから一年足らずで岡谷支店に転勤になりました。ここでは窓口担当。まだそのころは「いつ辞めようか」という気持ちがぬぐえずにいました。それが払拭されたのは、次の須坂支店で「得意先係」という、私にとってはやっと仕事らしい仕事のできる係に異動してからです。

3年目で得意先係に
 得意先係というのは、お客さんを訪ねて「預金をお願いします」などとやる仕事。入行から3年目で初めて、お札と帳付けの日々から解放され、外に出てお客さんとじかに話せる担当になったわけです。

 そろばんや帳付けよりも、お客さんとの会話がじかに商売につながるという方が断然面白い。質問されて答えられないと恥ずかしいから勉強もします。最初のうちは先輩の後をついて回りましたが、そのうちに一人で行くようになる。2年間、内部の事務を一通り見てきたので、外回りは初めてでも何とかなり、「俺、もう少し銀行にいてもいいかな」と思うようになりました。面白くなかった内部事務の経験が全部役に立ったわけで、基礎を学ぶことの大切さが身に染みましたね。
(聞き書き・北原広子)
(2010年1月23日号掲載)
 
茅野實さん