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22 失われた10年〜デフレ不況脱却に 初の赤字決算断行

22-chino-0403.jpg デフレ不況が進むにつれ銀行は不良債権の吹きだまりのようになった実態や大手銀行破綻の影響の大きさを目の当たりにして、銀行の公共的責任の重さを思い知らされましたね。私は、八十二銀行は破綻してはならぬ、必要な資金供給を何としても維持しようと決意しました。

 役職員に、これから当行は自身の不良債権処理に加えて、県内企業救護の役割も果たさねばならない。各人がこれを自覚して火事場の馬鹿力を出してくれ。従来の「殿様銀行」から脱皮しようと訴えました。そしてニューヨーク支店などの不採算部門の閉鎖、定時採用の削減、パート職員への切り換え、ボーナスの一部カット、高級乗用車の廃止などをやりました。

優良銀行の歴史に汚点
 しかし、30年以上も安定成長の中でやってきた「指示待ち」の体質や不沈艦意識はなかなか変わりません。私は意を決して、含み資産で決算を繕う愚をやめ、創業以来初の赤字決算に踏み切りました。さすがに少しずつ緊張感や自立心が出てきましたが、頭取就任から4年もかかってしまいましたね。しかも、創立以来、先輩方が営々と築いてきた優良銀行の歴史に、赤字決算の汚点を残してしまったんですよ。

 1998年不況の中、冬季五輪が成功裏に完了して大歓声が響きましたね。それから数年して県内の企業も不況から脱し、バブルが広げた傷を実体経済の力が癒やしたわけです。世間では「失われた10年」と言いますが、私は反対に一億総浮かれの経済から、地に足の着いた経済に再出発するための貴重な10年であったと思っています。

 私にとっては、昔の話として聞いていたデフレを、「経済の心臓」といわれる銀行で、しかも頭取の立場で体験させてもらいました。50年にわたる銀行生活の中で最も貴重な経験でしたね。何かのお役に立つかもしれませんので、失われた10年で学んだ教訓を申し上げます。

学んだ貴重な教訓
 (1)お金は少し足りないくらいが良い。
 −程よい緊張感で努力が続けられます。

 (2)大きな危険が潜んでいても、それが世間の潮流になってしまうと、警告を発する人は誰もいない。
 −経済学者も政治家も、そして70年前に体験したはずの長老方も、バブルの危険について警告しませんでした。日本が戦争に突入していった状況と重なって見えましたね。

 (3)歴史を変える大事件でも3代たつと 忘れられる。
 −3代はおよそ80年。忘れられたのは大正時代のデフレや29年の世界恐慌。経験豊かなはずのヨーロッパの銀行家もサブプライムローンに乗ってしまった。戦後65年、そろそろ戦争の悲惨さも昔話になってしまうのでしょうか。

 (4)日本人は痛い目に遭わないと腰を上げない。
 −たまにしか起こらないことには、危険や災害を警告しても、なかなか行動に移らない。救済策は歓迎されるのに、予防対策は進みません。

 人から教わったことと、自分が体験したことでは、行動面で大きな差が出ますね。
(聞き書き・北原広子)
(2010年4月3日掲載)
 
茅野實さん