
役職員に、これから当行は自身の不良債権処理に加えて、県内企業救護の役割も果たさねばならない。各人がこれを自覚して火事場の馬鹿力を出してくれ。従来の「殿様銀行」から脱皮しようと訴えました。そしてニューヨーク支店などの不採算部門の閉鎖、定時採用の削減、パート職員への切り換え、ボーナスの一部カット、高級乗用車の廃止などをやりました。
優良銀行の歴史に汚点
しかし、30年以上も安定成長の中でやってきた「指示待ち」の体質や不沈艦意識はなかなか変わりません。私は意を決して、含み資産で決算を繕う愚をやめ、創業以来初の赤字決算に踏み切りました。さすがに少しずつ緊張感や自立心が出てきましたが、頭取就任から4年もかかってしまいましたね。しかも、創立以来、先輩方が営々と築いてきた優良銀行の歴史に、赤字決算の汚点を残してしまったんですよ。
1998年不況の中、冬季五輪が成功裏に完了して大歓声が響きましたね。それから数年して県内の企業も不況から脱し、バブルが広げた傷を実体経済の力が癒やしたわけです。世間では「失われた10年」と言いますが、私は反対に一億総浮かれの経済から、地に足の着いた経済に再出発するための貴重な10年であったと思っています。
私にとっては、昔の話として聞いていたデフレを、「経済の心臓」といわれる銀行で、しかも頭取の立場で体験させてもらいました。50年にわたる銀行生活の中で最も貴重な経験でしたね。何かのお役に立つかもしれませんので、失われた10年で学んだ教訓を申し上げます。
学んだ貴重な教訓
(1)お金は少し足りないくらいが良い。
−程よい緊張感で努力が続けられます。
(2)大きな危険が潜んでいても、それが世間の潮流になってしまうと、警告を発する人は誰もいない。
−経済学者も政治家も、そして70年前に体験したはずの長老方も、バブルの危険について警告しませんでした。日本が戦争に突入していった状況と重なって見えましたね。
(3)歴史を変える大事件でも3代たつと 忘れられる。
−3代はおよそ80年。忘れられたのは大正時代のデフレや29年の世界恐慌。経験豊かなはずのヨーロッパの銀行家もサブプライムローンに乗ってしまった。戦後65年、そろそろ戦争の悲惨さも昔話になってしまうのでしょうか。
(4)日本人は痛い目に遭わないと腰を上げない。
−たまにしか起こらないことには、危険や災害を警告しても、なかなか行動に移らない。救済策は歓迎されるのに、予防対策は進みません。
人から教わったことと、自分が体験したことでは、行動面で大きな差が出ますね。
(聞き書き・北原広子)
(2010年4月3日掲載)
(2010年4月3日掲載)