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098 藤の森神社〜都市開発で削られ無残に

98-rekishi-0703map.jpg しばらく前まで、鍋屋田小学校の児童にとって昭和通りを挟んで鎮座していた藤の森諏訪神社、通称・藤の森神社は聖地だった。

 なにしろ問御所村と上千歳町の氏神で、隣の緑町の面々も「オラホの神様」の意識だった。秋祭りの露店や香具師(やし)の店の数は尋常ではない。子どもたちは神社の格を露店の数で決めていた。

 校庭で遊び飽きると、次は「藤の森」で日暮れまでターザンごっこ。ケヤキの巨木に藤づるが絡んで茂り、まるで「トトロの森」のようだった。その「藤の森」が消えてしまって久しい。

 「藤の森神社はどこへ行ったのだろう?」

 「消えたわけじゃない。すっかり小さくなったが、健在だ。それ、そこの長電市役所前駅の入り口の陰だよ」。近くの古書店主が教えてくれた。

 驚いたことに見るも無残に境内が削られ=写真、猫の額ほどになっている。長野大通りの拡幅で境内の大半を失ったらしい。ちなみに巻尺を持って行き、境内の寸法を測ってみた。

98-rekishi-0703.jpg 南が先端になる長い三角形で南北は38メートル。幅は一番広いのが社殿の建つ北端で9メートル弱だった。計算すると、面積は約170平方メートル。都市開発の犠牲とはいえ、なんとも奇妙な神社ができてしまった。
 それでも、門柱から鳥居、狛犬、献灯、手水(ちょうず)まで、"神社の七つ道具"が立派にそろっているのには感心する。かがり火を焚く鉄製の器具まで用意されている。

 小さな社殿だが、太い藤づるが覆い、かつて子どもたちが遊んだ縁も残っている。「削られても、削られても、どっこい、藤の森でござる...」。神威の力強さに敬服する。

 明治の古い地図を見ると、細い農道が社殿脇を通って、周辺は茫々たる田畑になっている。境内に沿った歩道に馬頭観音の石碑が1基。今は市街地の中心部だが、昔は荷物を運ぶ牛馬を一休みさせた場所と思われる。
(2010年7月3日号掲載)

 
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