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03 生きてゐしかば争へり

 「生と死」-この重い課題を、小難しく語るのでなく、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」でありたいと願っている。また、そうあるために古来からの箴言・名言、詩歌の類を拝借してより分かりやすく、親しみやすいものにしたいとも願っている。

 汝、ひとり往け
 いまさら「釈迦は素晴らしい」などと言うのはおこがましい次第だが、実際、釈迦の経典には、目から鱗、奮い立たされる言葉が、ぎっしり詰まっている。

 もともと「仏」というのは、最高最大の努力精進を重ねることによって到達することができた素晴らしい人格をいうのだそうだ。そしてその真理に目覚めたる人を覚者(ブッダ)といい、その代表者こそが釈迦なのだという。

 「汝、ひとり往け」はその釈迦が悩める愛弟子摩訶迦葉(まかかしょう)が、闇から闇、出口が見えなくてその苦衷を訴えてきたときに言い放った言葉だという。迦葉はこの言葉によって目覚め大成した。釈尊十大弟子の一人。

 こんな言葉もある。「観音は余人(よじん=自分以外の人)にあらず、汝自身なり」。観音はどこか別の高い所にいらっしゃっていてお前を見下しているのではない。お前自身なんだ。お前の肚(はら)のなかに住んでいるのだ。というのであろうか。

 こんな話をあるところでしたところ、そこにおられた老婦人から、会果てたのち、「きょうはいい話を聞いた。私はこの年になってやっと老後の生き方が決まった。目覚めた。鱗が落ちた。年来のわだかまりが解けた。残された人生が楽しめる。うれしい」としみじみ語ってくれたことがあった。私は

 過去よりも短かき未来新茶くむ (上野繁子)

と、こんな句のあることを思い出したのだった。

 「四苦八苦」も釈迦の言葉だという。四苦とは「生(しょう)老病死」のことで、人間がこの世で避けられない四つの苦しみをいうのだが、一般書では「生」は生まれる苦しみとあるが、私はそうではなくて「生きる」苦しみをいうのだと思う。死ぬこと、老いること、病むことを超えて、生きてゆくことこそが最大の苦しみだというのである。トップに据えたのは釈迦の慧眼だと言えようか。

 この世こそ地獄
 人間探究派の総帥として知られる加藤楸邨(しゅうそん)の句に

 死ねば野分
 生きてゐしかば争へり

がある。生き方が抉(えぐ)られている。50歩も100歩も退いて人生を見詰めているが、その眼には優しさと温かさがある。野分は単に秋から冬にかけて吹く強風ではなく、胎内を切り裂くようにして吹き抜けていく風だ。不思議な魅力が漂う句だ。

 「生きてゐしかば争へり」。水上勉が口をきわめて言うように、地獄はこの世にこそある。地獄は極楽の対極としてあの世にあるのではない。苦を背負って生まれ、生涯を苦に見舞われ続け、それに耐えて耐えて終わる人生もある。この世には「地獄の沙汰もこれまで」があふれかえっている。

(2010年2月13日掲載)