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06 来し方行く末を思う

 脳を洗う
       小野 幸子(駒ケ根市出身)
風呂場のタイルの上にきっちりと座る
湯舟のお湯を手桶に二杯三杯全身にかける

最初に
四十年間私がミシンを踏み続けて来た巾広い足の五本の指を洗う
予期しない出来事にハッと驚いて後ずさりしたかかとを洗う
四人の子供達にかじられた短かいすねを洗う
幾度かひざまづいて哀願したこのひざ小僧を洗う
しっかりと私を支えてくれた太ももを洗う
六人の子供達のとおってきた産道の出口を洗う
何事もかかえ込んだ太っ腹を洗う
四人の子供達に呑ませた乳首を洗う
二ツの乳房にはさまれた心の扉を洗う
その心の中に享年三日と記して建てた双児の子供達の墓石を洗う
きょうまで辛うじてつながった首を洗う
苦い涙を呑んだ口を洗う
心の雫をためた目尻のしわを洗う

最後に
「脳に異常あり」と
あした"CT"を撮るにあたって
白髪のまじった頭をていねいに洗う

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 誰にも、人には語れない、語ったとしても意を尽くせない、ひそかに胸さわぎを覚えるような、自分だけの時間を持つことがある。黙って胸底に畳み込まなければならない場合が多い。

貧しくとも豊かに
 詩は頭をでなく「脳」を洗うというのである。作者は信州の片田舎から上京して、詩を創っている。詩では食えないから、夫婦でミシンを踏みながら洋服仕立ての仕事をして生計を立てている。つましく清貧の思想に漬かりきって、貧しくとも豊かである。

 詩は最後の3行が言いたくて、長い前段がある。「あした"CT"を撮るにあたって」には、不安や胸騒ぎが隠せない。そして「白髪頭をていねいに洗う」のである。「ていねい」が持つ力は大きく、沁み沁みとした感慨が残る。何事をか自分に言い聞かせてもいる。都会の塵労に疲れながらも、筆を折ることはできないのだ。晩節を全うしたい思いまでが伝わってくる。

やさしい眼差し
 「あと十年生きればいい」と言いながら 植えし庭木のあが丈越しぬ (押 勇次)
 いつまでの命よ挿木なんかして (山本紅園)
 過去よりも短かき未来 新茶くむ (上野繁子)

 やさしい眼差しがある。だれにも来し方行く末がある。そこに立って小手をかざすときがある。自分だけのさまざまな思いが去来するのである。
(2010年4月10日号掲載)