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07 「気が若い」「老け込む」

 「無常迅速、生死事大、輪廻転生、温故知新」などというと高邁な哲学の影がチラチラし、偉人・賢人の口から出た言葉という思いがある。

 そこへいくと、「気が若い」「老け込む」というのは、庶民の中から年月をかけて熟成し、自然発生的に生まれ出た言葉のように思う。釈迦や孔子のにおいは漂ってこないのである。

 活力の源
 誰しもが、元気で長生きしたいと願っている。長生きよりも元気でに眼目がある。「気が若い」も「老け込む」も簡潔明快、説教臭くなく実によく分かる。注釈は不要だ。

 長寿社会の到来によって、ありがたく感謝することも多いが、長寿が故の悩みも尽きない。認知症、寝たきり、介護、孤独などなどがそれだ。

 辞書によると「気が若い」というのは「年齢の割に考え方が前向きで若々しい」とあるが、その「気」というのは、心の状態、働き。事に触れて働く心の端々。持ち続ける精神の傾向、あることをしようとする心の動き、を言い、生命の原動力となる勢い、活力の源をいうことのようだ。

 どうやら「気が若い」ということは、元気で長生きすることのための秘訣あるいは決め手でもあるようだ。元気で生き抜くための大きな尺度であり、魅力ともなっている。溌剌たる姿がそこにあり、足の運びに若さがあるのだ。顔につやがあり、声に若々しい弾みがある。「なんたって、あの人は気が若いよ」と羨望の眼が周囲にあり、「あの人のようでありたい」という願望の眼差しが、そこにあるのである。

  心の老いを恐れよ
 「気が若い」人はおしなべて自立心が旺盛である。判断、決断が早く愚図愚図していない。人に寄り掛からないのである。結果として、「若々しく生きたい」という念願が、おのずから言動に溢れ、「元気で長生きするんだ」という決意表明を、自分に向かって言い聞かせているようだ。外に出ることが多く、一人での行動を厭わない。好きなことをしている(熱中)から生き生きしているのである。

 「自分が自分を整え、他人に頼らず、整えた自分に頼る」(善光寺・一条智光上人)。自立とはこういうことなのだ。つまるところ、自分の力で整えた(創った)その自分に頼って生きるしかないのである。

 「夫の母は94歳、私の母は84歳で共に癌であった。...私が二人を人生の師として仰ぐ理由は...一つには二人とも、私よりずっときびしい不幸にありながら、一言も愚痴を聞かなかったことである。その眼の底に光っていた諦観と、挑戦のいろが忘れられない。夫の母はよく言った。済んだことを言ってどうなりましょう。私の母もよく言った。昨日は昨日、今日は今日」と。
  (作家 田中澄江)

 「老け込む」については、もう語らなくてもよさそうだ。年の割に衰えた様子を言い、精神に張りがなく、切り拓く覚悟がしぼんでいるのである。それが外見や声にまで及ぶ。心ならずも体調を崩しての場合もあるが、これはまた別の問題だ。

 長寿社会の代償として、私たちは長い長い老年を生きねばならないのである。心の老いをこそ、恐れねばならないのだ。
(2010年4月24日)