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07 屋代城(千曲市)〜二つのピーク利用した「一城別郭」の構造

07-yamajiro-1128.jpg しなの鉄道「屋代駅」の東方、一重山一帯が屋代城跡である。

 丘陵北方の踏切脇に登山口があり、成田不動尊、矢代神社を経て本丸跡までは30分程度。峰筋の歩道を登ると山頂の本丸近くの堀切から、いきなりカモシカが2頭小走りに駆け抜けていった。

 本丸は40×30メートル程度の平地で、西北側には幾重にも曲輪の遺構が見られる。

 一重山には二つのピークがあり、北方のピークに北城、南方の山頂に南城(本丸)を持つ「一城別郭」といわれる構造となっている。

 城域は広範囲に及ぶが、ほとんどが広葉樹林の中にあり、伸びた枝葉が緑陰をつくっていて、くつろぐ場所が多いので夏向きの登山コースともいえる。

 築城は永正から天文年間(1500年代初めのころ)で、坂城の村上氏から分かれた屋代氏によるといわれている。屋代氏は村上氏の重臣であったが、1553(天文22)年の武田氏の信濃侵攻のとき、早期に武田氏に降ったため、村上氏の自落を早めたといわれている。

 戦国期の城主は屋代政国。武田氏滅亡後は上杉氏に属し、村上義清の子・景国の下で政国の子の秀正が海津城の副将となった。

 戦国末期には雨宮氏が城主となり、屋代氏は戸倉の荒砥城に移った。後に村上氏に敵対し、徳川方へ寝返ったため荒砥城を追われ、徳川氏を頼ったというのが主な城歴である。

 ほかの城跡へのルートは一重山南方の県立歴史館の竪穴式住居群を経て、山腹を横切る道路が開設されており、墓地の入り口に本丸跡へ続く登山道がある。

 いずれの道もよく整備されており、手ごろなトレッキングに最適で、多くの人々が訪れる城跡である。城跡からは西方に千曲市街が、東方には上信越自動車道や雨宮地域、遠く松代方面の山容が一望できる。森地域はアンズと温泉で有名だが、ほかに、イチゴ園、アイリス園など季節によって楽しむ場所がある。
(2009年11月28日号掲載)