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08 「孤」を愉しむ

 老人とは何歳からを言うのか定説はない。悪名高い後期高齢者は75歳から、前期高齢者は65〜74歳。県のシニア大学(老人大学)は60歳を目安としている。

 個々について言えば、肉体的にも精神的にもかなりの個人差があって、老人意識については極めてまちまちといっていい。杜甫は「曲江詩」に「人生七十古来稀」と詠み、70歳が老後を考える上での一つの区切りともなっているようだ。

 寝たきりには...
 65歳以上の高齢者の一人暮らしが急増しているそうだ。「孤独な老後」という活字が新聞紙上を飾ることが多くなった。厚生労働省の統計によると、これまで主流を占めてきた、夫婦と子どもで構成する核家族世帯の割合が低下し、一人暮らしの世帯が多くなったのだという。

 老人たちに「老後の不安」についてアンケートした結果を見ると、「死んでも死にきれぬ」と前置きして、認知症の妻のこと、障害のある子どものことなど、お気の毒としか言いようのない例も数々あるが、トータルしてみれば

 ・寝たきりになりたくない。
 ・呆けたくない。

の二つが断然多い。男女、地域、貧富、地位などのすべてを超えてそうだ。理由は問うまでもない。「なるほど、俺もそうだ」という人が多かろうと思う。

 呆けのことは後日に譲り、寝たきりになるということは、人との付き合いが次第に減ることであり、疎まれるようになり、その孤独に耐えられなくなり、人の一生で一番厳しい状態に立たされることだというのだ。

 いうまでもなく、人生はその人だけのもので、何人といえども親でも、子でも、妻でも、夫でも、恋人でも、代わって生きることはできない。それも1回だけのもので繰り返しはできない。

 耳をふさぎたくなる言葉であるが「孤独に負けたときから、老醜と老臭が始まる」というのだ。ここで励まされる言葉を二つ。

 「老いを迎えてなお仕事に熱意を燃やす人は、それまで幾多の挫折を乗り越えてきている。この経験は十分『若さ』に対抗できるものです」 (新藤兼人)

 「...うちに籠るのは、会社だけが生きがいだった人たちである。老年には老年の生き方があると割り切って、好きなことに熱中している人は実に生き生きしている」 (中野孝次)

 老人は孤独に耐えねばならないのである。「年をとったら、ああいう老人になりたい」と憧れられてこそ、世の先達と仰がれる老人になれるのである。そしてまた、高齢者は孤独と葛藤と相克をも人生の総決算として受け入れざるを得ないのである。

 さらに言えば孤独を楽しむために、いや、「孤」を愉しむためには、美しい晩年を迎えるための、修行時代とも言える、長い助走期間を必要とするのである。

 孤と孤独とは違う。孤には淋しさがなく、愉しむには内部生命が燃え盛っている。人生の達人として己の人生を生ききった人たちは、みんな孤を愉しんできた人たちだと思う。良寛にこんな歌がある。

 あしびきの岩間をつたふ苔水の かすかにわれはすみわたるかも
(2010年5月1日号掲載)