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10 雁田城(小布施町)〜支脈に大城と小城

10-yamajiro-0306.jpg 小布施町中心部の東方に標高759メートルの雁田山がある。山頂から北方に尾根が延びており、尾根の途中から岩松院に向かって支脈が走っているが、その中間の小峰に大城と小城の跡がある。それらを総称して雁田城と呼んでいる。

 城跡へは岩松院脇からのコースが最も近く、本丸までの所要時間は30分程度。

 別のルートは、中国美術館付近から雁田山の尾根筋にトレッキングコースがあり、城跡経由で岩松院へ降りる遊歩道が整備されている。所要時間は約3時間。

 森林浴を兼ね、このルートで城跡を目指す。針葉樹と広葉樹の混交林の中、急斜面の途中にある「二の岩」の巨岩を経て、尾根の稜線に出ると間もなく北信五岳の眺望が開ける展望園地がある。さらに姥と孫が石になったという「姥石」を過ぎ、千僧坊の峰から城跡まで一気に下る。

 本丸の前後に複数の曲輪跡が認められ、それぞれの曲輪を寸断する堀切の遺構がある。

 本丸の大城から10分ほど下ると、数段の高い石積みの遺構を残す小城跡がある。大城を防護する最初の砦として重視されたと思われるが、峰筋には巨岩が露出した岩場が人の侵入を拒んでおり、全体としては堅固な造りである。

 この城は築城年代、築城者など詳細は不明とされているが、戦国期以前の城主には苅田氏、荻野氏の名が見られる。戦国期のころは中野の高梨氏の支配が続いたが、その後、武田氏の支配に代わり、山城が改修されて今日の姿になったものと思われる。現在の岩松院は室町時代後期の開基であるが、それ以前は境内に土豪の居館があり、雁田城はその詰め城であったという。

 寺院裏の墓地には広島50万石から当地に左遷された悲劇の戦国武将、福島正則の廟所がある。また、信州を愛した俳人一茶の句碑が立つ古池もある。

 本堂大広間の天井絵は葛飾北斎による「八方にらみ鳳凰図」。150年を経た現在も光彩を放ち、見る者に迫ってくる。
(2010年3月6日号掲載)

写真=岩松院の裏手に望む城跡