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16 修学旅行〜案内役を引き受けガイドブック執筆〜

16-ichikawa-0828p.jpg 児童・生徒が積み立てをして全員で出掛ける修学旅行は日本独特の学習形態です。私も小学校で伊勢神宮と奈良に行きましたが、戦争のため1941(昭和16)年から廃止になっており、復活したのは50年。須坂西高校勤務の時でした。

 まだ観光バスもなく、電車を乗り継ぐ旅です。ガイドさんもいません。私は東京高師時代に関西のフィールドワークもしていましたし、書生をさせていただいていた家の次男の奥さんが芦屋の出身だったことから、その家に泊まって京都や大阪を歩いていたので、ガイド役を引き受けました。

  歩いて寺から寺へ
 奈良から関西本線に乗り、法隆寺駅で降りて薬師寺と唐招提寺をまとめて見学。翌日は京都東山の清水寺から銀閣寺まで、半日かけてお寺やお宮を参拝しながら探訪、というように計画を立てました。ところが現地では最後まで付いてくるのは3分の1だけ。道に迷うのが3分の1いて、残りの3分の1はずらかってしまうわけです。

 食事時も大変でした。先に来て2人分食べてしまうのがいると、後から来た連中には食べる物がなくなってしまいます。そこで教師が立ってずっと見張っていたものです。なお米は各人の持参でした。

 寺から寺へ歩くことで印象に残ることがいろいろありました。奈良には大和棟という入り母屋造りの萱葺きの民家があります。なぜ信州にはない大和棟が奈良にあるのかという話をしているところに、ぷーんといい匂い。中に入って行って「信州から来ました」と言うと、揚げているてんぷらを分けていただけることもありました。

 ほかの高校も状況は似たようなものだったのでしょう。県の高等学校校長会が「研修という大きな背骨を1本入れるため」と、修学旅行用のガイドブックを製作することになりました。編集会議の席に私も呼ばれました。すでにあった下案に、私と、先輩の町田正三先生が加筆して仕上げることになりました。

 ありきたりのものでは面白くないので、現地取材をすることを条件に出したのですが、校長会にそんなお金はありません。そこで、名古屋までの運賃だけは校長会にもってもらい、後は紹介する三重県、奈良県、京都府の教育委員会に出してくださるよう交渉しました。

  充実した『関西への旅』
 2人で手分けして夏休みの半月ほど取材し、戻ってからは長野商業高校の塚田先生をお目付け役に戸隠の旅館に缶詰めになり、1週間くらいで書き上げたのが「関西への旅」というガイドブックです。生徒がみんな買うので毎年2万3000部発行しました。改訂しながら版を重ねました。執筆者として4人の名前が挙げられていますが、実際に書いたのは私と町田先生の2人です。

 心掛けたのは味気ない説明の羅列でなく、起伏を持たせて物語のように面白く読めるようにしたことです。詳しい解説の中に地図と写真を豊富に収録したので、充実した内容になっていたと思います。

 ガイドブックができてからは、これをテキストに事前勉強会を行うことができるようになり、現地でのガイド役からは退くことができました。事前学習はトイレも行かずに6時間くらいぶっ通しでしたのを覚えています。若かったからこそのエネルギーでした。
(聞き書き・北原広子)
(2010年8月28日号掲載)

=写真=小学校時代の修学旅行で名古屋城をバックに

 
市川健夫さん