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076 武井神社(下) 〜雷電が運んだという力石

76-rekishi-0822.jpg 誕生や七五三、入学、就職にも善光寺にお参りし、さらに町内の氏神にも加護を祈るのが多くの長野市民だ。神と仏をあまり区別していない。 

 「死後の安穏を祈るのが仏教。現世の利益、とくに豊作、子孫繁栄を祈願するのが神道です」と湯福神社の齋藤安彦宮司は解説する。

 ところが、近ごろは神仏の"営業対象"が混交してややこしい。善光寺では家内安全、交通安全、健康、安産、商売繁盛まで、現世利益を願う御札が至る所に見られる。

 武井神社の齋藤吉仁宮司夫人の敏子さんは「善光寺さんは、お宮参りまで受け付けているんですよ」と少々不満げだ。

 毎春、善光寺の表参道を練り歩くヤングママと愛児によるお稚児さんの大行列は本来、神社の営業対象だ。「そういえば、お宮といえば神社のことですねえ」と、私も敏子さんに指摘されて気が付いた次第だ。

 善光寺参りの帰途、ちょっと回り道をして、社殿を新築中の武井神社に参拝してみるのも一興だ。ピカピカと赤く光る銅板屋根がまぶしい。2,3年たつと緑青がふいて緑色になるだろう。

 社殿の西南には、雷電の力石がある。江戸を沸かせた信州出身の大力士だ。鐘鋳川の橋の架け替えで、いらなくなった石を神社に納めることになったが、地元の衆は、どう運ぶか苦労していた。

 善光寺参拝の時、この話に接した雷電は「よいしょ」と持ち上げて武井神社に運んだという。この石の上に乗り、飛び降りると健康になるといういわれもある。厚さ30センチ余、3畳ほどはあろうか。ざっと4、5トンはある大石は見ものだ。

 「雷電って、朝青龍や白鵬より強かったの? 」
 「もちろん。強すぎて横綱になれなかったほどだ。大関を16年間も務めた。それに勉強もよくできたんだよ。『旅日記』という文章は、文学作品としても評価されている。文武の人だった」

 境内では孫と祖父のこんな会話も聞かれる。

 先年、江戸東京博物館で雷電の履いた下駄と愛用のキセルを拝見したことがある。キセルはすりこ木ほどの太さがあった。
 
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