
大人になってもこの日は会社の帰途、回り道をして参拝を欠かさなかった。寒風の中、翌年の春を想定して植木の露店で苗を詮索するのも楽しみだった。
さて、西宮神社の由緒だが、郷土史家の面白い推理がある。
南隣にある武井神社のルーツは諏訪大社だが、諏訪大社下社のある下諏訪町には、「武居恵比須社」がある。諏訪の神様(建御名方命)が善光寺平に進出した時、恵比須さんも付いてきたという説だ。その証拠に、武井神社境内の北に隣接して「武井えびす社」があったという。
「古代のことはよく分かりませんが、伝承では神社の創建は1663(寛文3)年です。恵比須信仰は平安中期から豊漁の神として兵庫県で広まり、次第に福の神信仰として、江戸時代には『田んぼの神』として農村部にも広まったのです。全国に御札を配る『配札係』を置いたのです」と、西宮神社の丸山肇宮司は解説する。
全国のたいていの商家に恵比須さんの御札がある次第だ。豊作・豊漁になれば、物流を担う商人も潤う。彼らは、「恵比須講」という同業組合をつくって結束、これに共済・金融の機能も加えた。
商人や商売の一番大切なことは、人脈と公正だろう。不正をすれば仲間内から追放される。そうなれば商人にとっては死刑同然だ。
商都・大阪では干鰯商人や米の仲買人が代表的で、ほとんどの業界に「恵比須講」が組織された。
西宮神社では1月19、20日の「初恵比須」に商売繁盛を祈念して御種銭を貸し出している。時代の最高貨幣を使うのが習慣だが、実際は100円玉を貸し出している。商売が順調なら、来年、お賽銭を倍にして返すのが習いだ。
(2009年9月12日号掲載)