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090 南向塚古墳〜春には桜の丘となる南向塚古墳

90-rekishi-0220.jpg 「なんこうづか」の名前は知らなくても、「国道18号線沿いの桜の丘」と言えば、思い出す人も多いだろう。春には通行する車の窓にいや応なく飛び込んで来るピンク色の丘こそが「南向塚古墳」だ。

 善光寺平周辺の平坦部では珍しい古墳で、高田・古牧地区の住民や緑ケ丘小学校、桜ケ岡中学校が自慢するランドマークにもなっている。昨年秋、市が周辺を含め今後10年ほどかけ、総事業費28億円で公園として整備する方針を決めた。 

 「あの桜の小山は誰かのお墓ですか?」

 古墳の通例として誰のものかは不明だが、口伝がある。

 一帯は天皇家に連なる有力者が統治して農業を指導していたが、亡くなったので弔い、「王塚」とした、という。

 全長46メートルの前方後円墳だが、市街化で侵食され東側がだいぶ崩れている。全山が桜で有名な松本市並柳の国史跡「弘法山古墳」は全長66メートルだから、それよりふた回りほど小さい。

 かつて信州史学の泰斗・栗岩英治が発掘調査を頼まれたが「何でも掘ればいいというものじゃない」と諫めたという。地域住民の祖先かもしれない...崩れた墳墓を、村人たちが一輪車で土を運び修復する1981(昭和56)年の写真が残っている。

 江戸時代の調査データも現在の規模と変わらない。植えられている桜は古木だが、大木ではない。住民が補植をして大切にしてきたからだろう。

 川中島合戦の時には戦場になり、戦死者が葬られたとの伝承もある。

 付近の田畑は碁盤目に区割りされ、条里制が敷かれた跡がうかがえる。

 昨年秋亡くなった郷土史家の小林計一郎さんは「古墳は条理に従って築造されている」と解説していた。これまでの出土物は勾玉が2個だけ。条理を施行するには強大な権力が必要だ。葬られたのは稲作を指導した開拓者との推測もある。

90-rekishi-0220map.jpg 整備されれば善光寺平の王を記念した立派な古墳公園になりそうだ。周辺にもっと桜を植栽すれば「桜ケ岡」を実感できる名所になるだろう。
(2010年2月20日号掲載)

 
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