
愛子というお名前は、千曲市出身の日本史学の泰斗・児玉幸多さん(1909〜2007)が命名にかかわっている。
児玉さんは、稲荷山にある治田神社の神主の家に生まれた。広大な神域には大きなため池があり、堤には桜の古木が林立し、開花期は息をのむほどの美しさだ。
古来、桜は水面に映して見るのが「通」だとか。ちなみに「東日本水面の桜」ランキングで1位は青森・弘前城のお堀、2位は東京・千鳥ケ淵、3位は角館の桧木内川堤防、4位上越の高田城跡、5位函館の五稜郭といったところだ。

治田神社があるのは、稲荷山から麻績村へ抜ける「善光寺西街道」の入り口辺りだ。児玉さんが少年時代を過ごした稲荷山は、交通の要衝であり、穀倉地帯で、善光寺町より大きな商都だった。今も残る立派な蔵に見るように、豪農、豪商が多かった。
児玉さんは東大に学び、学習院大学教授、学長を務め、皇室教育の重鎮となった。昭和天皇や今上天皇も児玉さんから日本史教育を受けている。2001年には敬宮愛子内親王の「命名の儀」に先立ち、新宮の文運と健康を願って行われる「浴場の儀」に束帯姿で参列。『日本書紀』の一節を朗読したことでも知られる。この時91歳だった。

(2010年3月20日号掲載)