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093 治田神社 〜桜が見事 児玉さんの生地

93-rekishi-0320-01.jpg 愛子さまの登校問題で周辺が騒がしい。自分の子どもや孫のことと同様に心配したり憂慮している人も多いのでは。学校でのトラブルについて、自分の体験などから「みんな遅かれ早かれ体験したこと」「きっと時間が解決してくれる」「花に嵐の例えもあるさ」などなどだ。

 愛子というお名前は、千曲市出身の日本史学の泰斗・児玉幸多さん(1909〜2007)が命名にかかわっている。

 児玉さんは、稲荷山にある治田神社の神主の家に生まれた。広大な神域には大きなため池があり、堤には桜の古木が林立し、開花期は息をのむほどの美しさだ。

 古来、桜は水面に映して見るのが「通」だとか。ちなみに「東日本水面の桜」ランキングで1位は青森・弘前城のお堀、2位は東京・千鳥ケ淵、3位は角館の桧木内川堤防、4位上越の高田城跡、5位函館の五稜郭といったところだ。

93-rekishi-0320-02.jpg 私が県内を勝手にランク付けすると、1位の須坂市・臥龍公園に並ぶのが治田神社だ。丸子(上田市)の依田川堤、松本城のお堀の水影も良い。

 治田神社があるのは、稲荷山から麻績村へ抜ける「善光寺西街道」の入り口辺りだ。児玉さんが少年時代を過ごした稲荷山は、交通の要衝であり、穀倉地帯で、善光寺町より大きな商都だった。今も残る立派な蔵に見るように、豪農、豪商が多かった。

 児玉さんは東大に学び、学習院大学教授、学長を務め、皇室教育の重鎮となった。昭和天皇や今上天皇も児玉さんから日本史教育を受けている。2001年には敬宮愛子内親王の「命名の儀」に先立ち、新宮の文運と健康を願って行われる「浴場の儀」に束帯姿で参列。『日本書紀』の一節を朗読したことでも知られる。この時91歳だった。

93-rekishi-0320map.jpg 児玉さんには、愛子さまのイメージに、この治田の桜花が浮かんだのかもしれない。治田神社は延喜式内社だ。社殿から見渡すと千曲川の岸まで田畑が広がり、古来、相当の生産力があった土地と推測できる。神社のため池は氏子たちが総力を挙げて築いた水源だ。桜花を映す水面は豊穣の景色でもある。
(2010年3月20日号掲載)


 
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