
同じ城山にあっても、プールと動物園には足を運ぶが隣の神社をのぞく人は少なく、桜の季節以外は森閑とした霊地だ。本殿以外の見ものは一つだけ。陸軍少年航空兵の慰霊碑で、3期から19期まで80人余の氏名をプロペラのマーク下に刻む。本殿と共に1972(昭和47)年の建立だ。なぜ、中途半端な時代に社殿新築となったのか?
その訳は簡単。現地には以前、広大な敷地に古い社殿が建っていたが、公共事業で境内が削られ、相当な補償金が入った。関係者と遺族会の間で「良い機会だ。老朽した社殿を整備しよう」ということになった。
だが、時代は高度成長期。潮流にマッチしない記念事業は、社殿をコンクリートにして、航飛生の鎮魂碑一基建立で終わったようだ=写真。
本来なら、沖縄の戦争慰霊碑と同じように民間の犠牲も含め、近在の英霊の氏名をすべて刻んだ膨大な石碑群を建てるべきだったのではないか。
アメリカでは、アーリントン国立墓地に独立戦争以前から太平洋戦争、ベトナム、現在の対イラク・対アフガン戦争までの英霊を御影石に刻み、遺族が訪問するたびに氏名をなでさすり鎮魂と平和祈念のよすがとしている。桜で有名なワシントンDC(特別区)のポトマック川の対岸にあり、ケネディ元大統領も葬られている。

北方漁業をめぐるロシアの威圧、北朝鮮の核開発、中国の軍拡や海底資源争奪など今、日本をめぐる安全保障は揺れ動いている。沖縄などの米軍基地の在り方も、その是非が問われている。
今年も間もなく訪れる敗戦記念日に社頭に立ち、日本の来し方と行く末に思いを巡らせてみてはどうだろうか。
(2010年8月7日号掲載)