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05 新設・改修など道路を整備

 牧野市政で最も力を入れた施策に、都市計画の策定と上水道事業の推進が挙げられます。特に、都市生活に必要な交通・区画・住宅・衛生・保安・経済・行政などに関し、住民の福利を増進し公共の安寧を維持するための施策として都市計画は重要なことです。

 牧野市長は就任2年目の1912(大正元)年、国道後町通りから県庁に達する寿町道路の新設と延長(約480メートル)工事を1万600余円を投じて実施しました。

 同年12月には「市区改正委員規定」を設け、将来の改修や新設を要する街路の場所を定めました=下図。
 新設予定線路の第1期線28線路の中には次のような線路がありました。

 ○県庁正門道路から大町街道に至る線路

 ○長野中学校西から龍宮淵に至る線路

 ○寿町通りから千歳町に至る線路
 また新設予定の第2期線9線路の中には次の線路がありました。

 ○県庁通りから西後町正方寺に至る線路

 ○県庁正門道路南県町から新田町への線路
 その他、改修予定17線路が定められ、特に大規模改修線路として、大門町から末広町に至る中央通りの大改修(幅員8間)も予定されていました。

20-kyoudoshi-0904m.jpg 新設、改修などの道路整備は着々と進められ、13年には相生町(権堂通り)と大正町通り、14年には妻科神社前通りと深田町通りが開通しました。

 「市区改正委員規定」に盛られた新設、改修の線路は長野市の都市計画の基本として、その後も重要視され、実現が図られました。例えば24(大正13)年12月5日に竣工した石堂町から仁王門に至るいわゆる「中央道」も右規定の中で特別線として予定されていました。

 長野市は13年5月17日、「将来改修スベキ街路ノ位置」を市の平面図の上に明示しました。
(元『長野市誌』近現代史部会長)