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08 早大理工学部〜舞台美術研で熱中「フクちゃん」製作〜

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 早稲田の専門部で3年間学ぶと基本的な力はつきますから、ここで卒業していく人もいますが、優秀な連中は学部に進みます。理工学部建築学科です。

 私も専門部である程度は学べたという感じはありましたが、もっときちんと勉強したくて学部の試験を受けたら合格したので、もう3年間通うことになりました。この早稲田の6年間という期間を一言で言うと「あんないい時代はなかった」。

 専門部の時はサークル活動なんていうのもなかったのですが、学部に入ると授業以外の活動がいろいろありました。私は舞台美術研究会に入りました。ここで舞台美術にのめり込むようになるわけですが、理由の一つは学部の授業です。

 課外の方に興味が
 内容が専門部とあんまり違わないんですよ。同じことをするのは問題である、と思ったのと、幅広い分野を知りたいという専門部時代からの気持ちが重なって、課外の方に興味の重点が移っていきました。それが結果的には良かったのかもしれない。早稲田の舞台美術研究会というのは、建築科の学生が中心の伝統あるサークルです。

 早稲田大学といえば「フクちゃん」のマスコットをご存じの方も多いと思いますが、あれは私たちの会が発端なのです。朝日新聞東京版の漫画の中の脇役で人気のあったフクちゃんの帽子が早稲田の制帽に似ているという話になりました。これを早慶戦の応援に使いたいと、作者の横山隆一さんのお宅に伺って許可を求めたところ快く許してくださいました。

 早慶戦応援の花形 
   フクちゃんのキャラクターはその後いろいろな所で使われましたが、私たちが初めだと自負していますよ。あの時は本当にすごかったですね。

   当時は早慶戦がスポーツの花形で、応援部だけじゃなくて、ほかの部も得意な方法で応援に駆け付けます。巨大なフクちゃんが応援団に加わったのは昭和25(1950)年。私が2年の時です。

 新聞でも報道されて大変な騒ぎになりましたよ。それで早稲田がいきなり強くなったわけじゃないけど、人気は出たと思います。もちろん舞台美術研究会は応援の花形です。まあ、それも当然なんです。フクちゃんは直径数メートル、身長も人の背丈の3倍くらいはあって、おなかの辺でひもを引っ張るとベロを出したり声が出るという仕掛けで、学生だけじゃなくて先生たちも加わっての大作ですからね。

 中は空っぽの張りぼてですが、基礎は鉄骨です。構造計算のベテランの先生が、ああしろこうしろとアドバイスしますし、流体力学まで持ち出してまるで講義のようで、そりゃあ大掛かりでした。

 顧問の今井謙次先生という人は、早慶戦の会場の神宮球場の設計メンバーの一人だから構造をよく知っている。球場の模型を作って、ここに入れるにはどのくらいの大きさがいいかと計算するわけです。

 重くて大きいので、部品で運んで現地で組み立てました。それを応援席までみんなで運ぶわけです。ちょっと今じゃあ考えられないようなエネルギーだったと思います。

 こんなことをしていたのは早稲田だけでしょう。慶応の方も確かミッキーマウスかなんかのキャラクターを持ち出してきましたが、普通にベニヤ製ですからね。
(聞き書き・北原広子)
(2008年11月29日号掲載)

=写真=仲間と製作した「フクちゃん」の人形
(昭和25年6月 神宮球場での早慶戦)
 
宮本忠長さん