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09 舞台美術研究会〜活発だった演劇部装置の制作に夢中〜

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 早稲田の学部時代というのは、ほとんど舞台美術研究会が楽しくて通っていたようなものでしたね。フクちゃんの製作は、いわば番外編みたいなもので、日常的な活動の中心は演劇の舞台装置全般を受け持つことでした。

 早稲田には戦前から演劇のサークルがあり、俳優の森繁久弥さんとか小沢昭一さんら演劇界の逸材を輩出していますが、戦時中は思想統制もあって活動できなかったわけです。それが、私が入った当時というのは戦後の一気に自由な空気が流れ込んだ時代ですからね。外国の劇も上演するなど、水を得た魚のように活発になっていました。

 原作も読み込んで
 舞台美術研究会は、この演劇部の連中から脚本をもらって、舞台監督と打ち合わせをしながら舞台装置を作り上げていくんです。

 シナリオだけじゃなくて、原作があればそれも読み込んで時代考証から始めます。資料は早稲田の演劇博物館や坪内逍遙記念館に充実していたので、通っては調べました。

 一緒に活動するメンバーも面白い連中でした。絵ばっかり描いているやつがいたり、歌舞伎に詳しいのがいたり、サークル活動を通じて、長野にいたのでは経験できないような刺激を受けたと思います。

 建築様式や景色などを時代考証したら、その知識を基に下絵をデッサンし、場の情景や俳優の動きを確認しながら舞台をデザインして、装置を制作します。上演日、幕が開いて、皆で作った装置が照明に浮かび上がり、演じる人々が違和感なく溶け込んで、生き生きとした動きを見せるときの感動は忘れられません。

 女子大の全国演劇コンクールの舞台装置を請け負ったり、「ベニスの商人」、夏目漱石の「坊ちゃん」など、多い年は毎月のように上演作があったので、この活動だけでも結構忙しい日々でした。

 一番印象に残っているのは、私が3年生の時のゴーリキーの「どん底」という作品です。時代考証から時間をかけてしっかり作り上げた自信作だったんですが、たまたまその道のプロの目に留まってえらく褒められたのです。「舞台装置をやらないか」という誘いも受けました。それで私はすっかりのぼせ上がってしまって、将来は舞台装置の道に進みたいと思うようになってしまいました。

 大隈講堂内行き来
 サークルの活動の場は大隈講堂でした。早稲田を象徴する建物で、外観を変えずに内装を整えて、今は文化ホールのようになっており、2007年に重要文化財に指定されています。建設は1927(昭和2)年。戦災を免れ、大学の重要な行事や講演会の会場として使われていました。

 大学の行事がない時はサークル活動などに使われ、演劇部の上演はここです。講堂の裏に資材置き場があって、私たちはそこを行き来しながら装置を完成させていくわけです。

 この大隈講堂の設計をしたのが、建築学科の佐藤武夫先生という方です。音響工学の第一人者ですから舞台装置との関係も深く、相談に乗っていただくことがよくありました。それで、舞台装置の道に進みたいと言ったら「そんな甘い世界じゃない。まず建築の基礎をやるべきだ」と叱られました。今思うと、あれは佐藤先生の作戦だったような気もしますがね。
(聞き書き・北原広子)
(2008年12月6日号掲載)

=写真=学生時代の活動を思い出して描いた舞台装置の図
 
宮本忠長さん