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12 佐藤事務所〜ラーメン屋の手伝い止められて賃上げに〜

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 佐藤事務所では週に3日も4日も徹夜という働き方でした。仮眠を取るのも事務所の床の上だったり、机の上で寝ちゃうような豪傑もいましたね。佐藤先生がお餅を焼いてくれて夜食にいただくこともよくあって、夢中で働いていました。

 ツケがたまって
 一番つらかったのは最初の2年間、まだ独り身だった時期です。結構頻繁に引っ越していましたが、豪徳寺に住んでいた時、たまたま上田の方面の出身の人がやっているラーメン屋が下宿の近くにあって、仕事帰りに寄ってはラーメンを食べて一杯飲んでいました。そのうちにツケがたまってしまって、どうしようかってことで、屋台を引っぱる手伝いをすることになりました。

 私ができることなんて腰掛けを用意したり皿を洗うくらいですが、いないよりはマシです。佐藤事務所を終えて10時くらいから夜中の1時ころまでのアルバイトみたいなものですね。翌日の出勤は10時までに行けばいいから何とかなって、2カ月ほどやった時、近くに住んでいた佐藤事務所の同僚がたまたまその屋台に来てしまったのです。

 お願いだから先生には内緒にしてくれ、もう近々やめるから、と頼んだんですが、7、8人しかいない事務所ですからじきに先生の耳に入ってしまって、数日後に事務所の隣の喫茶店に呼ばれました。案の定、屋台のアルバイトはまずいとおっしゃいます。仕事に影響したら困るというのが一番ですが、所員がアルバイトだなんて、先生にしたらみっともないわけです。私はもちろん、すぐに辞めると約束しました。

 すると先生が「ひと月いくらの稼ぎになるのか」と尋ねるので、「2000円か3000円です」と答えましたら、「そのくらいなら出そう」ということで、一気に給料が3000円上がることになりました。民間企業に行った人で当時の相場が6000円くらい。私たちは3000円とか4000円でしたから大きな賃上げです。ところが、それがほかの所員に知れて騒ぎになって、結局全員の給料が上がりました。

 この一件は佐藤事務所の内部に留めておいていただけるものと思っていたら、私の独立後、佐藤先生が私の作品を雑誌で特集してくださった時の紹介文の中で、佐藤事務所時代のエピソードとして書かれてしまい、家族にもバレてしまいました。以来、佐藤事務所では「宮本さんはラーメンばかり作っていて、実は建築の仕事をしていなかった」ということになっているらしいです。

親せきから縁談 
 不規則な独身生活を見かねたのか、親せきから縁談が持ち込まれました。親父さんが青木堯といって、私の母のいとこに当たり、出版物の流通大手であるトーハンの設立メンバーだった人でその長女の青木範子です。私は、お婿さんみたいに荻窪の家に同居することになりました。

 結婚式は須坂の実家で行ったので、佐藤先生は出席されませんでした。当時のことですから、連日3日くらい派手にやりました。新婚旅行は上林温泉に行ったんですが、もうその時には酔っぱらってフラフラです。その上、翌日には事務所から「すぐに戻れ」という電話です。今来たばっかりなのにひどいな、と思ったけれど、忙しいのは分かっています。女房ともどもすぐに東京に引き返しました。
(聞き書き・北原広子)
(2009年1月1日号掲載)

=写真=夢中で働いた佐藤事務所時代の私
 
宮本忠長さん