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13 狐落城〜(坂城町)更級八景の景勝地 悲惨な落城を経験

13-yamajiro-0904p.jpg 坂城町村上地区は村上氏が最初に拠点を置いた土地で、村上氏関連の遺跡が多い。その一つ、村上神社の駐車場から城跡を目指す。竹林に添って石段を上がると、村上氏の氏神を祀(まつ)った「村上大国魂社」がある。

 同神社は狐落城本丸から千曲川に沿って北方に長く延びている稜線(りょうせん)の突端に位置するが、蛇行する千曲川や上山田、坂城方面を眼下にすることができ、更級地方を代表する景勝地でもある。

 社殿に隣接して「十六夜(いざよい)観月殿」の古色蒼然(そうぜん)とした建物がある。村上氏の始祖となった源顕清が平安時代に当地に配流されてきたが、配流先での慰めに建立したと記されている。建物は江戸時代に再建したものであるが、正面には顕清の和歌が納められていた。

 六十の老いの友とて 
 十六夜の月のみを見
 て世を終わるかな

 古今の文人らの句碑が建つ観月殿からは、尾根伝いに急峻(きゅうしゅん)な山道を登ること約50分で城跡に至る。狐(キツネ)もころげ落ちるほどの険しさが、狐落城の語源になったものであろう。近くには猪落の地名もあるという。

 本丸の前後には曲輪(くるわ)と数条の堀切の遺構が見られるが、規模は小さい。狐落城は村上氏の本城である葛尾城から、千曲川を挟んで対峙(たいじ)する位置にあり、本城を守備する重要な支城であった。

 1548(天文17)年、上田原において武田信玄を破った村上義清であったが、5年後には武田軍の侵攻を受け、葛尾城、狐落城が陥落したため、上杉氏を頼りこの地を去った。やがて上杉、武田の雌雄を決する川中島合戦を誘発することとなる。

 狐落城の合戦においては、村上氏の配下であった大須賀氏の裏切りにより、城将小島兵庫助兄弟をはじめ、多くの城兵が戦死し、悲惨な落城を経験した山城である。

 当地は更級八景の一つ。俳人松尾芭蕉が訪れた折、「更科紀行」に句を残していて句碑が建立されている。

 いざよいもまだ更科
 の郡かな
(2010年9月4日号掲載)

=写真=千曲川などを一望する城跡
 
続・山城紀行