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16 長野市庁舎〜2期工事行われず 建築家として残念〜

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 私が1965(昭和40)年から担当した長野市役所の第1庁舎が、耐震強度不足ということで問題になっています。実はあの建物は、当初の計画の半分でしかないことを、ご存じない人がほとんどだと思います。

 市庁舎のプランは、南北の長さを市民会館とそろえてバランスに配慮し、1期工事で南側に9階建ての現庁舎を、2期工事でちょうど対になるように北側に同じ高さの建物を造ってつなげる予定でした。そのための基礎工事をしてあります。

 構造計算は東京の織本匠建築構造研究所に担当していただき、第1庁舎だけでも当時の耐震基準は当然満たしていますが、2期工事を行っていたら現在の厳しい耐震基準もクリアできるんです。

 あの建物は中心に「コア」といってエレベーターや階段、トイレなどをまとめています。そうすることでフロアを広く使えて開放的にし、訪れた人の動線もスムーズになるわけですね。

 ロの字形のはずが
 このコアは耐震壁の機能も果たすのです。当初のプランでは、中心にコアをもってきて、2期工事で南北をつなぐ壁を造って四角にすることで、強度がさらに高まり、デザイン的にも使い勝手の点でも完成するはずでした。

 ところが別棟を建てることになったため、当初の計画の道路沿いの2期工事はなくなりました。今思いますと、3階から上部を増築するように考えておりましたので、完成していれば「ロの字」形になるはずだったのですが、「T字」形で止まってしまったようなわけです。

 つまり、今の建物というのは一対の片割れというか、ふわふわ浮いたような状態ということになります。
 長野市役所と同じ時期に須坂の市庁舎も担当しましたが、こちらは完成型ですから、最近少し耐震の補強工事をして今後も使うことで問題ありません。長野市庁舎も全部完成していれば、補強工事をして、まだまだ使えるはずです。私としては、市民会館も市庁舎も残した方がいいんじゃないかと思っております。

 総体的発想が必要
 当時は総体的に考えるという発想が欠けていましたから、発注されて設計を担当して仕事が終わったら、それで市との関係は切れるみたいなことになってしまいました。これでは全体を見渡すことができないし、建築家としての責任においても残念でなりません。

 長野に戻った時に一番感じたのは、生意気かもしれませんが「遅れているなあ」ということです。重要なのは総体的な視点なのに、これが欠けている。例えば都市計画課では長野市街地の近代化計画みたいな構想でセルの道路がどうのとやっていたのですが、ここでも、一体、どういう町にするのかという核になる考えがあるようには、私には感じられませんでした。

 職員それぞれは優秀でやる気のある人たちなのですから、全体に向上したら、もっといい仕事ができるのにな、と思ったものでした。

 しかし、当時はまだ仕方がなかったんでしょう。書店に行くと、1級・2級の建築士試験の日程告知の張り紙はあるのに専門書はないとかね。びっくりしました。そしてまだ大学に建築学科がないなど、地方は圧倒的な情報不足にあったわけです。
(聞き書き・北原広子)
(2009年1月31日号掲載) 

=写真=私が担当した市民会館(手前)と市役所第1庁舎
 
宮本忠長さん