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18 県政史編纂(上)〜人選任せてもらい編集権の独立確保〜

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 東京教育大学で理学博士の学位を取得後、須坂高校から長野高校に異動になりました。長野高校勤務時代は信州大学の非常勤講師も兼ねることになり、毎週金曜日は松本に通い、午前中は教養部、午後は文理学部で講義をしました。

 1973(昭和48)年に東京学芸大学助教授として長野県を離れるまで、信大の非常勤は続けました。話は下手なのに、内容が面白かったのでしょう。教養部では250人以上が受講する人気講座となりました。

  学部長車で信大通勤
 今もそうですが、私は車の運転をしませんから、信大から話があった時には足の確保をお願いしました。それで毎週学部長用の車で駅まで送迎してもらいました。この時に教えて教師になった学生たちも、定年を迎えております。

 学位論文をまとめて出版した『日本の中央高地における高冷地農業の諸類型』をテキストに使いました。もっとも伝えたかったことは、地域性に合った農業をすることで農業が進化するという点です。各地をフィールドワークして、このことを確信しました。自給自足で良しとする農業では進展がありません。

 例えば川上村の農業はレタスで発展しました。行政主導で行って成功した例です。ほかに、優れたリーダーの存在や役場との協同、人々の理解も重要です。後に私は全国的にも前例のない「食の文化財」の県指定保護を提唱して実現させました。特色ある郷土食での地域おこしが各地で盛んになっていますが、私の研究や大勢の教え子を通じた影響力があったとすればうれしいことです。

 そのころ「県政100年を祝って長野県政史をつくるので受けてくれないか」という打診が当時の西澤権一郎知事の下で総務部長だった吉村午良さんからありました。編さん中だった県史、県教育史に県政史も加えたい、という意向でした。

 私が、通常は県側が行う監修者と4人の執筆陣の人選を自分に任せていただくこと、内容については編集権の独立が確保され行政介入のないことを条件に出しました。これについて了承してもらえましたので、この大仕事を引き受けることにしました。

 こうして68(昭和43)年から、長野高校に籍を置きながら長野県総務部事務吏員として県政史の編さんを担当することになりました。当初4年間の予定だったのですが、完成までに5年かかりました。この間も信大の講師は続けていますし、フィールドワークも欠かしていません。

  八百長なしの監修
 監修は、飯田市出身で当時東大教授だった歴史学、特に農業史が専門の古島敏雄先生にお願いしました。古島先生は「市川君とは30年来の付き合い。しかし、八百長はしないということで引き受ける」と、西澤知事を前に明言していただきました。

 監修というのは、全体を見渡す重要な仕事ですが、著名な人が名前だけ貸して、実際には内容にかかわっていないケースもよくあります。私は軽井沢、御代田、須坂、小布施、中野、飯山、豊田、山ノ内など、たくさんの市町村誌の監修者として携わっていましたが、八百長をしたことはありません。統計数値が間違っていないかと計算のやり直しまでしたこともありました。
(聞き書き・北原広子)
(2010年9月11日号掲載)

=写真=5年がかりで完成した「長野県政史」全4巻

 
市川健夫さん