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19 県政史編纂(下)〜膨大な文書と格闘 多面的に県政描く〜

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 県政史の執筆者として私がお願いしたのは青木孝寿さん、小林英一さん、上條宏之さんです。それぞれ労働・社会問題、教育・文化、政治・行政を担当してもらい、私が経済と産業を受け持つことにしました。

 ところが上條さんからいい返事がもらえない。私は彼の勤務先の松本深志高校へ出向き「あなたの研究にもプラスになる」「政治権力によって執筆内容を変えられないよう編集権の独立は確約されている」と説得して引き受けてもらいました。

 青木さんは誰からみても妥当。小林さんについては県側が「論文数が少ないのになぜか」と難色を示したので、「家永三郎先生の弟子。大原幽学を研究した卒業論文が史学雑誌に掲載された実力者である」と説得しました。大原幽学は、江戸時代の農政学者で農民運動の指導者。農業協同組合を世界で初めて創設した人でもありました。

 広い編纂室に移転
 編纂室として用意されたのは県庁東庁舎2階の狭い部屋でした。私は「狭すぎる」と主張して1階の大部屋に移してもらいました。幸いなことに長野県庁は戦災を免れたので戦前からの貴重な文書が残っていました。その点、富山県などは資料を焼失していますから、富山県史を作るに当たり、長野県に残っている富山県関連の資料を写しに来ていました。

 県政の始まりというのは廃藩置県で県が設置されてからになりますが、そもそも目的が中央集権国家体制を築くためですから、県は内務省の出先機関であり、県関連の文書は国にもたくさんあります。私たちは当時の総理府総務課(現国立公文書館)に足を運び、資料の閲覧を求めました。

 すると「決済を受けるのに3日かかる」と担当が言うのです。遠方から来たのに、とんでもないことです。私と課長が係争になり、結局3日が30分に短縮されました。県と国の膨大な文書との格闘のため、年末は30日まで、年始は2日から働きました。県庁の休日には暖房が切られてしまうので、そういうことも私が交渉しました。

 私は「文字になっていないことを発見する」ことに一番興味があります。だから一貫して徹底したフィールドワークを行っていたのです。県政史編纂に当たってもこの姿勢を崩すつもりはなく、行政文書だけではなく豪農豪商を訪ねて民間の観点からの資料を収集したり、また聞き取り調査もしました。

データが示す教育県
 長野県は教育県として有名です。これは単なる印象ではなくデータが示しています。寺子屋の数が多かったこと、義務教育の免除地域がなかったことは知られているところですが、ほかにもいろいろあります。

 弟や妹の世話をしながら学校に通えるように「子守学級」が普及していたり、芸者さんになる女の子のため鍋屋田小学校には「花柳学級」がありました。この件で、芸者さんへの聞き取りも行いました。話が終わると「玉代をください」と言われました。調査経費扱いもできず、ポケットマネーから支出しました。

 明治100年記念事業として県政史編纂は多くの県で取り組んだ企画です。行政文書だけでなく多面的に県政を描いた長野県の県政百年史は、大きな価値があると思っています。
(聞き書き・北原広子) 
(2010年9月18日号掲載)

=写真=県政史編纂に取り組んだ県庁東庁舎

 
市川健夫さん