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20 東京学芸大学〜研究環境格段に向上 海外へも現地調査に〜

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 長野県政史が完成したのは1973(昭和48)年です。これを機に長野県近現代史研究会を発足させ、現県短期大学学長の上條宏之さんが事務局長になりました。私も県から県短のポストを打診されたのですが、信大の非常勤講師も6年目。学会発表や著作の実績も積んだことが評価され、徳島大学、秋田大学、東京学芸大学の3つの大学から招かれていました。

 長野から一番近い学芸大に決め、助教授に就任しました。経済地理学と地誌学の担当です。妻は母と一緒に小布施の家に残り、上智大学に通っていた次男が私と一緒に住むことになりました。中央省庁の課長級待遇ということで立派な官舎でした。

  自炊もしてみたが
 小金井にある一戸建て。畳の部屋だけで3室あり、学生たちのコンパ会場にも使えました。研究一筋で父親らしいことをしてこなかったので、この機会に食事くらいはと思ってつくってみたのですが「まずくて食べられない」と次男が言うものですから料理はやめ、肉や野菜を買って冷蔵庫に入れておくだけにしました。

 高冷地農業の研究継続の意味もあり、東北地方や北海道に調査の重点を移しました。何もない週末は小布施に帰省。私が帰らないときは妻が上京するというふうに行き来していました。大学の教員になると、研究環境は格段に良くなりました。科学研究費にしても、高校教員では研究奨励金ということで少額ですが、大学だと多ければグループで一千万円以上もいただきましたので、海外出張にもよく参りました。

 日本では、竹が縁起の良いものとされ、精巧な竹細工など竹文化が発達しています。最古の民話といわれるのが「竹取物語」であるのも象徴的です。ところが中国の雲南省に行くと、竹取物語とそっくりな話が語り継がれています。雲南でこの物語の存在をを知った時、日本の「竹取物語」はここから伝わったに違いないと私は思いました。フィリピンではパイプオルガンを竹で作っています。一般に東南アジアでは竹文化が発達したのに、アフリカに行くと竹はあるのに竹文化は未発達です。

 現地調査の大切さというのは、無意識に自分たちの文化の中で暮らしている人々を、ある一定の知識をもって見て分析することです。
歩いて発見したことが、それまでの発見とつながると新たな理論を生むことができます。その理論を、さらに歩いて検証していきます。私の場合、常に新しいアイデアが浮かぶので研究上のスランプに陥ったことは一度もありません。

  15キロの山道を歩いて  民族間の争いの絶えないスリランカで溜め池の調査に行った時は、宿泊予定のホテルが焼き討ちにあった直後でした。「1日早く着いていたらバーベキューになっていた」と言われました。中国の奥地の調査では、通訳を兼ねて留学生を連れて行きました。「車で行くとまったく異質の民族だと思われて話してもらえない」ということで、15キロの山道を歩いて行きました。私はどこの食事でもいただきますし、また体調を悪くすることもありませんでした。

 1991年ロシアに出かける前に、入院中だった母を見舞い「ロシアに行って来る」と伝えると、「体を大事にしっかりやって来い」と言われました。カムチャッカ滞在中に母は96歳で亡くなりました。死に目に会えなかったことは残念でした。
(聞き書き・北原広子)
(2010年9月25日号掲載)

=写真=出張先の中国雲南省昆明市内で写した荷馬車
 
市川健夫さん