記事カテゴリ:

23 世界遺産運動 〜専門委員として参加 次のチャンスを狙う〜

23-miyamoto-0321p.jpg
 もうすぐ善光寺の御開帳が始まりますね(注:掲載時2009年3月)。長野に建築設計事務所を開設した1964(昭和39)年以来、私は家族のいる東京と、仕事の根拠地である長野をずっと行き来する生活を続けてきました。

 長野駅が近づくと善光寺がふと脳裏に浮かんだり、移動が頻繁だと余計に信州人を意識するものだなと感じます。この善光寺を「世界遺産」に登録しようという運動があることはご存じと思います。

 冬季オリンピックを経験した長野市が世界平和に何かアピールできないかということで、長野青年会議所が中心となって「善光寺の世界遺産登録を進める会」を発足させ、私も専門委員として当初から参加しております。

魅力的な門前町
 その時に、あらためて善光寺周辺を歩きまして、門前町の物語性に強い印象を受けました。中央通りの縦線をまちの軸として、何本もの路地が横から支えている形態がまるでラビリンス(迷宮)のようで、そこから一編の物語の主人公が飛び出してきそうな気配があるのです。土地に固有の「相」を大切にするまちづくりに腐心してきた眼からしても、なかなか魅力的な門前町が広がっていることに気付いたわけです。

 さらに総体的に考えて、城山公園など周辺の景観を開発前の状態に戻したり、善光寺北側の池を復活させたりというような環境整備ができると、いっそう素晴らしい文化遺産になることは間違いありません。

 部分でいうと、やはり宿坊ですね。玄関を入ると敷居があって、そこから内部に続くという昔ながらの形でそろえることができたらいいと思いまして、私はまずここをキチンとやる必要があると考えています。

 昨年の文化庁の暫定リストに載ることを期待して、フォーラムを開催したり関係機関への働き掛けも行ってきましたが、残念ながら及びませんでした。会としては整備をさらに進め、次のチャンスを狙うつもりでいます。私も手を引くわけにはまいりません。御開帳を機に、市民の関心が高まることを期待しております。

 さて、私がここまでお話ししてきたことは、建築の「表の顔」といえると思います。しかし建築というのは、大勢の人たちとの共同で初めて成り立つ仕事です。以前、ある評論家の方から「宮本は優れた職人を発掘する名人だ」と評されたことがあります。

職人さんを育成
 私にとっては非常にうれしい言葉でした。優れた職人さんの技術がなければキチンとした建築はあり得ません。そこで私は1993(平成5)年に県内の職人さんたちに呼び掛け、「信州名匠会」という会を始めました。毎月、定例研修会を開き、異業種について学び、刺激し合って技の向上を目指したり、親睦会などの活動も盛んで、会員数も順調過ぎるほどに増えています。

 私の原点は信州という風土に根差した建築です。その風土に適した技が受け継がれないことには、いくら私どものような建築家が頑張ってもどうにもなりません。職人さんの育成にささやかながら貢献したい。これは信州の建築家としての私のもう一つの重要なライフワークなのです。
(聞き書き・北原広子)
(2009年3月21日号掲載)

おわり

=写真=パンフレット「善光寺さんを世界遺産に」から

 
宮本忠長さん