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02 〜中央通りの拡幅を決定〜

25-Kyoudoshi-1023p.jpg 長野市の中央通りはもともと北国街道の丹波島宿と善光寺宿を結ぶ路線の一部であって道幅は狭いものでした。

 とりわけ、上後町の八十二銀行の辺から大門町に至る所は、ちょうど坂道にかかるのに幅員が2間半(約4.5メートル)しかなく、車馬の通行はもちろん、歩行者の通行も不便きわまるものでした。

 後町通りを中心とする中央通りの全面改修は市の多年の宿題でしたが、直接利害が絡む沿線住民にとっても大変な難題でした。

 ここでの道路拡張問題が具体化したのは、牧野元市長時代の1919(大正8)年10月に市民有志が"道路改修促進"を市長に陳情。さらに市会に「市内国道筋街路拡張に関する意見書及び建議書」が提出され、承認されてからでした。市はこれに基づき、各町の希望意見を聞き、調査を進めて基本計画を作成しました。

 この計画案が市会に提案されて、満場一致で承認されたのは、三田幸司市長時代の21(大正10)年5月23日のことで、その内容は次のようなものでした。

 範囲 中央通りの石堂町から大門町までの803間(約1445メートル)
 道幅 8間(約14・4メートル)
 費用 89万5000円(半額は県費補助)
 期間 22(大正11)年から3年間

 21年10月、市はこの計画書を県に提出し、半額県費補助の申請をしたところ「将来のことを考えて道幅を10間にしたらどうか。県費補助の増額も配慮したい」という助言を受け、市は11月1日の市会に以下のような修正案を上程し承認されました。

 道幅 10間(約18メートル)
 総工費 135万3000円(半額県費補助)
 期間 21年度から3年間

 この中央通りの拡張案は、県会対策上、さまざまな問題を内包していましたが、県側の説得が効を奏し、同年12月8日に県会を通過しました。

 中央通り拡張計画は三田市政の重要課題で、将来の長野市の発展に大きな影響を与えることになりました。

 三田市長は中央通りの改修計画案の成立とほぼ期を一にして21年12月27日、病気辞任し、実際の改修事業は次期、丸山弁三郎市政に引き継がれました。
 (2010年10月23日号掲載)
 4代三田幸司の項 おわり

=写真=改修前の狭かった中央通り(後町付近)