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102 忠霊殿 〜特攻隊名簿碑に撃墜王の名〜

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 私たちは幼いころ、英雄といえば「鉄腕アトム」と撃墜王・西沢廣義(ひろよし)(海軍中尉)だった。アトムは夢のキャラクターだが、西沢は現実に居た信州人だ。

 彼の戦果は何と87機に上り「最強の撃墜王」といわれる。本当は日本一なのだが、不思議なことに第2次大戦では、撃墜王という記録定義がなかった。

 日本では同じゼロ戦乗りの坂井三郎が有名だが、戦績は67機。ドイツ軍には英機150機を撃墜した「ヨアヒム・ハンセン=アフリカの星」といわれたパイロットがいた。英雄好きの欧米では、5機以上撃墜すると「エース」の称号や勲章が与えられた。

 西沢の墓は実家の小川村にあり、彼を追悼するものは長野市内にはない-と思っていた。ところが善光寺忠霊殿東の木立にある神風特攻隊碑の横に建つ名簿碑に西沢の氏名を見つけた。銘版に刻まれた県内90人の一人だった。

 名簿碑には出身市町村と没年齢が添えてあり、西沢は24歳とある。善光寺の僧籍だった人の氏名も見える。16歳から28歳まで全員の年齢を見るだけでも背筋が凍る思いがする。ちなみに特攻本部のあった知覧(ちらん)(鹿児島県)基地から出撃した1036人中、信州出身者は30人に上り、東京、神奈川に次いで3番だ。

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 なぜ西沢がアトムと同様に憧(あこが)れの的になったか。西沢には愉快なエピソードがいっぱいある。
 小川村の養蚕家の三男に生まれ、頭が良く敏捷(びんしょう)でガキ大将、学校では教師が休むと代わりに教壇に立つほどだった。家業の縁で岡谷の製糸会社に就職。岡谷駅の待合室で見た予科練(よかれん)の募集ポスターで志を決めた。

 学校時代から長野市内にあった父方の叔母の家(牛乳店)で時々、配達アルバイトをして体を鍛えていた。

 予科練(横須賀)でもトップ級の成績で戦闘機乗りに。最初は撃墜され、サメの海から生還。敵米軍基地上空でアクロバット飛行を披露したり、武勲以外にも挿話が多い。戦後、アメリカの教科書に載り、国防総省に写真が掲げられたりもした。

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 1944(昭和19)年10月、フィリピンで輸送機に搭乗中、グラマン機に襲われて被弾、戦死した。戦艦「武蔵」が撃沈されて間もなくの時。爆弾を抱え、敵戦艦に体当たりした神風機の援護と戦果を確認した帰途だった。

 西沢は重い牛乳瓶を抱え、坂道の多い善光寺街のどの小路を走っていたのだろうか。
(2010年10月9日号掲載)

=写真=左が特攻隊碑、右が名簿碑
 
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