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103 パゴダ 〜ビルマ戦線の死者を慰霊〜

1023-rekishi-1023p.jpg 善光寺北側の展望道路で雲上殿に上ると、真っ白なパゴダ(東南アジア特有の仏塔)に出くわす=写真。遠来の客や地元の老若から「あれは何ですか」と異口同音に尋ねられる。真っ赤な雲上殿と純白のパゴダと墓地。異様なコントラストだ。

 「ああ、あれはビルマの竪琴(たてごと)ですよ」と、とっさに言い逃れをする。建立の由来を詳述すると、曲路山道のハンドルを誤るからだ。映画『ビルマの竪琴』は、ほとんどの人が新旧作品(両方とも市川昆監督)のどちらかを見ていることだろう。

 オウムを肩に竪琴を手にした黄衣の主人公・水島上等兵の姿を思い出す。あるいは「埴生の宿」(原曲は英国の「Home.Sweet Home」)を唱和する日英の兵士のシーンを思い浮かべるだろう。

 水島は、敗戦情報を否定し、徹底抗戦を叫ぶ部隊の説得に派遣されて行方不明になり、やがて収容所の仲間の前に僧侶姿で出現、戦友たちの慰霊のために帰国を拒否する...というストーリーだ。

 このパゴダ建立の由来を説明するとき、原作者・竹山道夫の小説と映画は格好の基礎知識になる。

 第2次大戦末期、日本軍の大東亜共栄圏構想の最前線だったビルマ(現ミャンマー)戦線の死者は19〜20万人に上る。食料の補給も切れ、ジャングルの灼熱(しゃくねつ)と猛烈なスコール、日本兵は英印軍の抵抗に倒れ、遺骨は赤土に埋もれた。

 戦後、幾度も慰霊団や収骨団が派遣されたが、広大な戦跡にお手上げだった。老齢化する遺族のせめてもの願いは、全国規模の慰霊塔をしかるべき地に建てることで、1977年の建立当時1500万円の浄財が集まり、浄土・善光寺の後背地が建立場所に選定された。

1023-rekishi-1023m.jpg 『ビルマの竪琴』に並ぶ戦記文学の名作には、井伏鱒二の『黒い雨』、大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』、野間宏の『真空地帯』などがある。いずれも、それぞれの戦争体験などを基にしているが、竹山は「竪琴」について「児童向け作品で実は空想の所産」であった、と亡くなる前に述べている。

 小説のヒントは日中戦線だったが、敵味方が合唱する曲を思いつかず、舞台を日英が対立したビルマにした。日本では戦後長らく、戦死者を慰霊する空気が醸成されなかったため、パゴダに納められた英霊の氏名はわずか6000人に過ぎない。
(2010年10月23日号掲載)

 
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