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21 ブナ帯文化論 〜照葉樹林文化に対し東日本の風土論提唱〜

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 日本の基層文化は何か-というときの定説に「照葉樹林文化」があります。戦後、京都大学の先生たちから広まり、大ブームとなりました。

  稲作を中心に養蚕、綿作、お茶や柑橘類の栽培、麹菌による味[口曽]や酒の醸造、竹細工や漆器の製造、鵜飼い漁業などが農耕文化の要素になっています。中国の雲南省を中心とする照葉樹林地帯と共通していることから、日本でも照葉樹林文化を基層とする文化があったというものです。

  天皇は手植えで田植えを、また鎌で稲刈りをされています。皇后が蚕を飼うという皇室の農耕儀礼は、日本文化が稲作中心の複合的な農耕文化であることを意味しています。

独創的学説の一つ

 これに対して私が提唱したのが「ブナ帯文化論」です。私は「独創的」といわれる学説をいくつか発表してきましたが、その中の一つがこれです。簡単に言うと、米の代わりに稗などの雑穀を作り、畑作が中心で稲作より大量の肥料を必要とするため馬産が盛ん。繊維作物としては大麻やシナノキの内皮を用い、竹細工は根曲がり竹で作りました。

  ブナという木は「ぶな[木へんに無]」つまり木では無いと書くくらい、日本では評価が高いとはいえない木です。しかし私は非常に貴重な木だと思っています。たくさんの葉や枝を落として森林腐葉土を作り、ブナの大木1本は水田1反歩を潤す水の涵養力、保水力があるともいわれます。日本でブナ林帯が広がる地域は、中央高地・北陸の山地から東北、北海道です。岩手県の平泉には藤原3代のミイラがあり、棺桶には稗と粟などが入っていました。縄文時代の生活を知ることができる遺跡として貴重な八ケ岳山麓の尖石遺跡は、縄文人がクリやドングリを食べていたことを明らかにしています。ブナ林帯の恵みを活用していた証拠です。

  私が主張したかったのは、西日本中心の照葉樹林文化を志向した生活様式では、東日本の風土と合わない点が多い。ブナ林帯ならば、その風土に合った暮らし方が望ましいことです。 

  ブナ林帯文化については、梅原猛教授など京都学派の研究者も多方面から研究されていました。そこで京都学派と市川グループが一緒に秋田市でシンポジウムを行い、共著も出しています。それを見た講談社の編集者から私に執筆の依頼があって、1987年に発行したのが『ブナ帯と日本人』という本です。新書でしたが、1週間もしないうちに初版2万部が売り切れたのは、読者にとって相当な関心を集めたといえます。再版を重ね6万部のヒットとなりました。

  実は「ブナ帯」というネーミングは講談社の営業サイドで付けたものです。編集サイドでは「ブナ林帯」「ブナ・ミズナラ帯」などを考えていたのですが、一般向けの本としてはいい名前を付けたものだと思いました。

 サケの文化もブナ帯

 私の研究の原点ともいえるサケの文化もブナ帯文化であるということができます。三陸地方の漁協ではブナの植林をしていました。ブナなどの落葉広葉樹を植えることで洪水や渇水を予防し、湾内の水量を安定させ、水質を浄化しプランクトンを増殖させ、サケに良い生活環境をつくろうとしているものです。

  今のサケ漁は日本沿岸や遠洋で行われていますが、古代信濃国は越中、越後と共にサケの3大産地。もともとは川を遡上してきたサケを獲ったのですから、農民が漁民を兼ねていたわけです。ブナ帯文化論には私のサケへの想いも込められています。

(聞き書き・北原広子)

2010年10月2日号掲載分)

 =写真=豊かなブナ林が広がる飯山市の鍋倉山

 
市川健夫さん