記事カテゴリ:

24 食の文化財〜 他県に例ない英断 産業振興にも貢献〜

24-ichikawa-1023p.jpg 私が県に「食の文化財」の指定を提唱したのは、1981年でした。「文化財保護法」が50年に制定されたが、民俗文化財として衣と住が挙がっていたのに、食文化についての法的規定はなかった。建造物や絹、カラムシなどの高級織物は文化財として指定されながら、国でも地方自治体でも、食物に対しての指定がないのはおかしいと感じていました。

 そこで、ちょうど当時の吉村知事や内山県教育長が文化人との懇談会を持った席上で、私が食の文化財の県指定とその保護を提案したのです。これを受けて県教委文化課が、私も委員の一人だった文化財保護審議会に諮りました。ところが反対が多く、審議は未了となりました。反対の理由は文化財保護上「前例がない」ということでした。

 最初に5種類選定
 このことはマスコミでも大きく取り上げられました。それでさらに議論の末、審議会は他県に前例のない「食の文化財」を長野県選択無形民俗文化財として指定し保護するという英断をしました。県から調査の依頼を受けた私が選んだのは、手打ち蕎麦(そば)(そば切り)、焼き餅(おやき)、御幣餅(ごへいもち)、スンキ漬け、野沢菜漬けの5種類です。

 この指定は文化財保護行政という観点からは最も低いランクなのですが、一般県民にはほかの文化財より身近で、広報手段としても利用価値が高いせいか「県重要文化財」と書いて宣伝するおやきメーカーまで現れました。

 指定から20年後の出荷額の統計を見ますと、野沢菜漬けが70億円から200億円に、おやきはゼロから80億円産業に成長しました。現在、おやきは製造業者の努力もあって全国的に有名になっています。食の文化財指定がきっかけづくりに貢献したと思っています。

 その後、王滝村のイワナの万年鮨、飯田市のさば鮨、飯山市の笹寿司、また南信州の柚餅(ゆべし)などが指定されています。長野県に続いて滋賀県が、琵琶湖産フナの馴れ鮨などを指定するようになりましたが、国は食文化財の指定をまだ行っていません。

 食と風土が切り離せない関係にあることは言うまでもありません。私は1985年から「信州学」の論考を始めており、信州の食文化もその中に位置付けることができました。 

 「信州学」確立に努力
 その年4月から、長野経済研究所の機関誌『経済月報』で信州学に関する連載を始め、そこで「信州学アラカルト」から「信州学」というネーミングを使うようになりました。また信州自治研究会の機関誌『信州自治』にはもう25年間も信州学の論考を連載し、6冊の本にまとめました。その中で信濃毎日新聞社が発刊した『信州学大全』が最も体系的にまとめられています。

 60〜70年代の高度経済成長期に、従来の経済、社会、文化が大きな変化を遂げる中で「地域主義」の運動が各地で勃興しました。78年の「地域主義集談会松本大会」に多くの参加者を得たのを皮切りに、県内でも地域の風土学習が盛んになりました。信州学には、時代の要請という面もあったのです。ただ地域主義には、狭い郷土主義に陥る危険性が伴います。私はそれに留意し、国際的な信州学の確立に努めてきたつもりです。

 「地理屋」としての人生を振り返ってみますと、恩師と同僚に恵まれ、大きな挫折もなく、研究生活を貫くことができました。また、たくさんの教え子が各地で活躍しています。なお長男と孫も共に地理学の道を歩んでおります。
おわり
(聞き書き・北原広子)
 (2010年10月23日号掲載)

=写真=「信州の味コンクール」であいさつする私
 
市川健夫さん