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04 少年時代 〜模型飛行機作りや伝書鳩飼育に夢中〜

04-kuraishi-1120p.jpg 僕が少年時代に一番夢中になったのは模型作りでした。飛行機は竹ひごを曲げた羽と、桐の木の胴体、アルミの管をつないで作ります。当時、南石堂町の映画館「千石劇場」のそばに「少年の店」というのがあり、経営者の親切なおじさんにいろんなことを教わりながら、模型飛行機やゲルマニウム・ラジオなどを作ったものです。工作がとても好きで、学校でも図工の成績は良かったんですよ。

 模型作りの趣味は大人になっても続いて、自分の子どもができるまでプラモデル作りを楽しんでいました。細かい作業が好きで戦艦や戦闘機などを作りました。手先が器用なのは申年生まれだからだなんて言われました(笑)。

 兄弟で一番活発
 模型飛行機をゴムの動力だけで飛ばす大会にも参加しましたが、残念ながら成績は今一つでした。「千石劇場」の軒下が我々子どもたちの遊び場で、ガキ大将と共に集まってはメンコで勝負してました。

 ほかのきょうだいはあまり外で遊びませんでしたが、僕は通称「水道山」でチャンバラやターザンごっこをしたり、川で泳いだりと、一番活発でしたね。

 そのころの長野は市内でも30センチ以上雪が積もり、太い竹を半分に割って鼻緒を付けたぽっくりとか竹スキーを使って中央通りで滑って遊んだものでした。少しくらいのけがは当たり前。特別の病気も大けがもありませんでした。

 同級生の小山君の家の地下室に、青いバナナが山のようにあったのが記憶に残っています。遊びに行くと年に1,2回、バナナをもらったのがうれしい思い出です。当時のバナナは高級品で、病気をした時以外はめったに食べられませんでしたからね。

 あのころは今のように物を簡単に捨てずに大切にした時代で、お米も一粒残さず食べ、貴重品の卵は半分ずつ分けて食べたものです。
戦中派の僕としては食べ物を粗末にするのは嫌なんですが、今は健康のために残すこともあります。

 模型作りのほかに中学時代に夢中になったのは、当時流行していた伝書鳩の飼育です。血統のいい鳩同士の子どもは高く売れるということで、30羽くらい飼っていました。

 屋上に立派な鳩小屋
 伝書鳩は日本ピジョンクラブに登録すると売買ができるんですが、今のようにインターネットなどない時代。せいぜい雑誌に出すか、近所の鳩仲間に売るくらいでした。安茂里で材木屋をしていた叔父さんに頼んで、屋上に鳩小屋を建ててもらいました。広さ3畳くらいの立派なもので、30羽もいると掃除や世話が大変でしたね。

 ひなは巣から落ちて死んだり猫に襲われたりと、なかなかうまく育たず、成鳥になると他人の鳩小屋に入ってしまったり、また逆に他人の鳩が迷い込んで来ることもありました。仏閣型の長野駅舎に住んでいたやせた土鳩がまぎれこんだりなんてこともありました。

 部活動は先生から勧められて軟式テニスでした。球技はあまり得意ではありませんでしたが、小学生時代から野球もやっていました。体が大きかったせいか、運動ができるように見えたらしく、結構良いポジションをもらいましたね。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2010年11月20日号掲載)

=写真=1950(昭和25)年、山王小学校に入学した時の私

 
倉石功さん