
この小路は長野駅と市街西部の県庁などを結ぶ最短距離の通勤路で、朝夕は県職員らでラッシュとなる。栽松院の入り口は一見「小庵じゃないか」と見間違うが、本堂から庫裏、背後の墓地まで街の中としてはそこそこの規模の寺だ。
入れば右手に子育て赤地蔵尊、大黒さんや戸隠の尾上(おがみ)地籍から移された出世不動さん、地元の人から親しまれている「嶋(しま)の天神さん」も並ぶ。江戸時代の学者・菅江真澄(すがえますみ)も信濃遊歴の折、この寺に参拝したことが紀行文に記されている。
200年ほど前に本堂は焼失し、1902(明治35)年に再建された。棟梁は若いが腕の良い宮沢運冶という人。破風の下の彫刻が見ものだ。
「しまんりょう...って、どんな意味?」
島(市街を乱流していた旧裾花川の中州)に建てた小さなお堂という程度の意味だ。
同寺が曹洞宗になってから17代目という山口祐栽(ゆうさい)住職は「両サイドは用水の八幡川です。今は暗渠(あんきょ)になって想像もつかないでしょうが、昔はせせらぎにホタルやトンボが飛び、水浴びをしながらハヤ、フナ、オイカワ、ドジョウが捕り放題だった。時にはウナギも」と回想する。

これらの用水は、稲作が善光寺平に普及した弥生時代から、幾代もの先人が築き上げてきたのだろう。
この古刹から東へ足を延ばし、上千歳町の飲食街・マンション・ホテル街を通り抜けると突然、八幡川の水面が顔を出す。意外に澄んだ水にびっくりする。せせらぎの石垣を積み直し、アヤメやショウブを配して、市が「ホタルの小径」として整備した。新緑から秋の紅葉まで、散歩に最適の風景が楽しめる。
(2010年11月13日号掲載)
=写真=中央通りに面した栽松院