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106 犀川神社〜市内一にぎやかな秋祭り〜

106-rekishi-1127p1.jpg 「犀川神社の秋祭りは長野市内で一番にぎやかです」。生粋の氏子だけではない、縁あって安茂里地区内の団地やマンションに移住して住民になった親や子どもたちも口をそろえる。

 「市内一」かどうかはともかく、「お祭りに舞う太々神楽(だいだいかぐら)は市の民俗芸能無形文化財(1969年指定)」と言われて、9月の例大祭を見物した。

 社殿は旭山南麓の高台に鎮座する。眼下に旧街道と国道19号線が並行し、犀川まで見渡す限り旧家や新築住宅が並ぶ。

106-rekishi-1127p2.jpg 西河原、小路、大門、差出4地区の鎮守として創建された。近くの月輪寺(がつりんじ)の守護神として比叡山の山王大社から勧請(かんじょう)したと伝わる。祭りは前日の宵祭りから本祭りまで、老若男女、、住民総出の大イベントだ。太々神楽は、オープニングの三番叟(さんばそう)に始まる10数種の演目が伝承されている。江戸から明治には「お染め久松」の道行きや「おかめとひょっとこ」の狂言舞もあったという。

 早朝からけたたましく花火が打ち上げられ、各地区から神楽の行列が出発。公民館や役員宅など拠点拠点で獅子舞を披露。酒肴、餅、菓子・果物が振る舞われ、道中も花火で盛り上がる。

 大行列が社殿に到着すると、これも市無形文化財(95年指定)の「杜花火(もりはなび)」の各種仕掛けが一気に爆発する。

 笛、太鼓、鉦(かね)に勇ましい囃子歌が加わり、「市内一番のにぎやかさ」に思わず、恐れ入りましたと頭を垂れた。 格調高い所作の獅子舞は、伊勢神宮の御師(おし=PRマン)が伝えたとされる。豪快な舞い方は民俗研究者も伊勢系と指摘する。三番叟は徳川家康の腹心だった大久保長安が松代の海津城へ赴任した折、当地に伝えたという。

 口伝だった囃子歌の笛は、村杉弘・信大名誉教授によって採譜された。
 「吉原通いの おーえー...ずいと飲んで ずいと差しゃ」の歌詞などを見ると、江戸の太神楽や木遣りの影響もみられる。

106-rekishi-1127m.jpg 安茂里地区は、大町・松本方面からの善光寺道の要衝で、犀川の「小市の渡し」があり、宿場の機能もあった。関東・関西の伝統文化を上手に吸収して練り上げてきたのが犀川神社の祭りと思われる。
(2010年11月27日号掲載)

=写真=明治4年の再建以来140年近い社殿
=写真=秋祭りの献納

 
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