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06 〜長野・須坂間に電車開通〜

31-kyoudoshi-1225p.jpg 上水内郡の1町3カ村の長野市への合併問題に絡んで最大の懸案事項は、吉田町が提示した長野・須坂間の電車敷設でした。

 これを解決しなければ合併問題の進展はあり得ませんでした。そこで丸山市長は、梅谷県知事や「長野電気鉄道株式会社」社長・神津藤平ら関係者と連絡を密にして打開の道を探りました。長野市も、この事業のために1923(大正12)年3月の市議会で17万6000円(後に20万円に増額)の補助金を決定し、以後10年にわたって会社に支出しました。

 24年4月から路線用地の買収が順調に進められ、11月16日に長野-須坂線の起工式が吉田停車場予定地で実施されました。そして関連工事も予定どおり進められましたが、最大の難事業は千曲川への架橋でした。

 この橋は須坂と長野を結ぶ県道長野須坂線上にあり、県と長野電気鉄道株式会社により24年12月に起工され、26年4月に完成しました。総工費109万円(県60%・長野電鉄40%)、総延長813メートル、鉄道線を含め幅員10・65メートル、鉄構橋部分365・9メートル。当時、県内最長の鉄橋で、鉄道線と車道が並ぶ珍しい併用橋でした。

 「長野電気鉄道開通式は大正十五年六月二十八日、権堂駅構内で来賓として鉄道大臣代理伊藤課長・梅谷知事・丸山長野市長をはじめ一二〇人ほどの臨席をえて盛大に挙行しました。

 芸妓の手踊りや大神楽を演じ、花火一五〇発を打ちあげて、全市をあげての祭りで開通式を祝った。このあと、来賓や関係者は電車四台に分乗して、須坂に向かい、芝宮公園と臥竜山の園遊会に臨んだ」(『長野市誌第6巻歴史編近代2』)

 開通当初、電車は1日30往復。権堂-善光寺下-本郷-桐原-吉田町-朝陽-柳原-村山-日野-須坂を30〜31分で走りました。なお、権堂-長野間の開通は、通過路線上に鍋屋田小学校運動場があったため遅れ、実現したのは28(昭和3)年6月24日でした。

 長野-須坂間の電車開通の結果、やがて長野市域と河東地域(下高井の岳南地方を含む)との社会的、経済的な連携が一段と深まり、両地域の発展に資すること大なるものがありました。
(2010年12月25日号掲載)

=写真=千曲川に架けられた村山橋