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06 ミスター平凡〜3万8千人の中でグランプリを獲得〜

06-kuraishi-1204.jpg 高校3年生の秋、突然、「ミスター平凡コンテスト」の最終審査の通知が届いたんです。同級生の小林幸雄君が、僕に内緒で写真を送ったことが分かりました。

 思い当たったのは、3カ月ほど前に小林君に誘われ、雲上殿でファッションモデルよろしくポーズを取らされ写真を撮ったことでした。しかも学生服ではなく、当時流行の革ジャンを着てくるように指定されたんです。結局、それが応募の写真だったというわけです。

 修学旅行をやめて
 ところが全国決戦大会が行われるのは、何と修学旅行と同じ日。学校には体調が悪いとうそをついて、旅行をキャンセルして内緒で参加しました。大会への好奇心はありましたが、僕としては当時、長野では手に入れることができなかったリーバイスのGパンとウエスタンブーツを買うために上野のアメ横に行くのが一番の目的だったんです(笑)。

 1961(昭和36)年11月7日、東京松竹会館でのコンテストには、北海道から九州まで3万8000人の応募者の中から選ばれた十数人が出場していました。僕は結果に執着していなかったせいか、「ミス平凡候補のあの娘がかわいいな」なんてランクを付けたりして、結構余裕でしたね。ただ、審査員の鰐淵晴子さんの美しさにはびっくりしました。

 審査はせりふとウオーキングでしたが、もちろん演技経験はゼロ。でも幼いころから人懐こくて親せきの家を泊まり歩くのが大好きという、物おじしない性格が幸いしたようで、グランプリを獲得しました。あの当時で100万円相当という副賞は、何があったか覚えていられないほどすごかったですね。ダイヤのカフスに洋服、真珠のネックレス...。高校生の僕には全く関係ないものばかりで、一番うれしかったのは空気銃でした(笑)。

 今のようにテレビや新聞ですぐ話題になる時代ではありません。長野に戻っても特に大騒ぎということもなく、僕自身もまた普通の生活に戻るんだと思っていました。芸能雑誌を読んで知った人がヒソヒソとうわさするくらい。でも女の子から声を掛けられることが増え、少しもてるようになったかなと思う程度でしたね(笑)。周りの友人たちも変わりなく接してくれ、卒業まで普通の高校生活を送れたことに感謝しています。

 大映から芸能界入り
 大学進学が決まっていましたが、「平凡」の勧めもあり、大映の第16期ニューフェースとして芸能界に入ることが年内には決定しました。本来なら協賛の松竹に入るはずですが、松竹には会社のカラーに合わないという理由で採用してもらえませんでした。

 当時の松竹には同い年の竹脇無我さんがいましたから、入っていればかすんでいたかもしれません。後に大映倒産という大事件が起きるとは知る由もなし。松竹に入っていたら、人生は全く違うものになっていたでしょう。

 芸能記者の紹介で俳優座の女優として活躍されていた村瀬幸子さんにお会いする機会がありました。「腹を据えるなら良いけれど、あこがれだけならやめなさい」とアドバイスをいただきましたが、僕はやってみなければ分からないと思っていました。今から思えば若気の至りですね。

 父が滑舌の練習用に-とソニーのテープレコーダーを買ってくれました。映画会社の録音部が使っているのと同じ物だと、後から分かりました。大学卒の初任給の何倍もの大金をはたいて買ってくれたんです。父の愛情を深く感じた思い出です。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2010年12月4日号掲載)

=写真=表彰式で「ミス平凡」と

 
倉石功さん