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09 新人時代 〜通えなかった大学 大量のファンレター〜

09-kuraishi-1225p.jpg デビューしたころのプロフィルには特技としていろいろ書かされました。本当は山が好きなのに、「海が好き」といった方がカッコいいとされていた時代でしたね。2,3回しか弾いたことがないのに趣味はギター(笑)。当時はイメージづくりが大切で、18歳くらいでは宣伝部の言いなりでした。

 人気のバロメーターであるブロマイドの売り上げは、浜田光夫さん、加山雄三さん、高橋英樹さんらのスターに交じって、ベスト10に入っていました。ブロマイド専門のマルベル堂の話では、普通は出身地ではあまり売れないんだそうですが、僕は長野の売り上げが一番で珍しいと言われました。長野の人たちには本当に感謝しています。

 テレビにも初出演
 今でも鮮明に記憶に残っているのが初めてのテレビ出演です。「ミスター平凡」になった時、フジテレビの「平凡歌のバースデーショー」に出演しました。まだテレビは白黒の時代で、クレイジーキャッツの皆さんが司会でした。弘田三枝子さん、渡辺トモコ(友子)さんを間近で見て、なんてかわいいんだろうと思いましたね。対照的にハナ肇さんが普通のオジサンで驚きました(笑)。「ミス平凡」と二人で手をつないで紙を破って飛び出し、インタビューに応えるというものでしたが、物おじしない僕でもドキドキしたことを覚えています。

 大映演技研究所と同時に大学生活も始まりました。日大芸術学部に入学しましたが、仕事が忙しくなり1年で30日くらいしか出席できませんでした。浜田光夫さん、高橋英樹さん、峰岸徹さんが同期生ですが、学校では会えず雑誌の仕事の方がよく一緒になったくらいでした。

 僕は3年で中退しました。今考えるとバカバカしいですが、日大芸術学部という話題と看板が欲しかったから在籍していたようなもので、演技研究所の方が役に立ったかもしれません。ただ渡辺学部長は理解のある先生で、とてもお世話になりました。

 大学で友人はできませんでしたが、浜田さんと『高校三年生』で共演した舟木一夫さんとは仲が良く、一緒に誕生日を祝ったりしました。舟木さんの自宅にも遊びに行くことがありましたが、特に会話をするというのでもなく、延々と2、3時間も彼のLP盤を聞かされ、本当に歌が大好きなんだと、歌への情熱に感心しました。

 デビュー前は王子稲荷近くの親戚の三畳一間に下宿をしていました。「平凡」や「明星」などの雑誌に載るようになり、顔が知られ始めてはいましたが、撮影所には普通に電車で通っていました。自分が映画に出ているという自覚もなく、まだ他人事みたいでした。

 毎日みかん箱いっぱい
 ファンレターをもらい始めたのも、そのころでしょうか。『高校三年生』が上映されたころにはみかん箱いっぱい、毎日500〜600通も届くようになりました。ほとんど女性ファンでしたね。今のように、しっかりした後援会やファンクラブがあるわけでもなく、会社はそこまで面倒を見てくれません。最初は少しでも、と自分で返事を書いたりしたこともありましたが、中の文面は会社に印刷してもらいサインする程度になってきました。

 結局、全部は読みきれませんでした。今から思えば申し訳ないことをしてしまったと思います。「ザ・ガードマン」のころは少なくなっていました。やはりファンレターを書いてくださるほどの熱烈なファンは、映画ファンに多いなと思いました。
(聞き書き・西沢よしえ)
(2010年12月25日号掲載)

=写真=舟木一夫さんの誕生日に浜田光夫さんと

 
倉石功さん