
門前右手に立つ「大蛇(おおにょう)の塚」は熱心に祈る人が後を絶たない。家運、金運、商機運の御利益は知る人ぞ知る。「ヘビはお金の神様ですからね」。参拝のご婦人が教えてくれた。塚の玉垣から江戸時代の商家の信仰が分かる。
南・北石堂町名の語源は、ここ西光寺の石童丸伝説だ。仏道修行のため、親と名乗れない刈萱道心。亡父の追善のため善光寺にやって来たその息子の石童丸...。仏教説話、説教節として全国的に有名になったのは、波乱万丈のストーリーからだ。
荒馬を鎮め、姫との出会い、乱世に立身、栄枯盛衰、道心の妻妾バトル、生と死、無常観と諦観...長野に生まれ育った人には耳にたこができるお話だ。絵解きの文言をあらためて読み直してみると、西行や兼好法師、鴨長明の思想が色濃く反映されている。日本人の価値観は鎌倉時代以降、庶民に普遍化されたことが分かる。
「親子の絆を教える刈萱伝説を一度でも聞けば、子殺し、育児放棄、虐待など絶対できません」と言う住職夫人の竹澤繁子さんは、念願の事業に着手した。
刈萱道心と妻の千里(ちさと)御前、石童丸の3石塔の修復だ。鎌倉時代に建立された貴重な文化財だが、江戸時代の善光寺地震で被害を受け、その後の風雪で倒壊が心配されている。文化財保護の専門家の手を入れ、来年6月までかけて修復する予定だ。
境内に立つ信濃最古の芭蕉句碑「雪ちるや穂屋のすすきの刈残し」、一茶句碑「花乃世ハ仏の身さへおや子かナ」もゆかしい。

伝承では、寺は「善光寺の南大門」と呼ばれていた。善光寺参拝の折には、必ずくぐるべきポイントという意味だろう。
西光寺の由緒・因縁を語れば日は暮れ、夜が明けてしまう。
刈萱伝説の結びは、父子共に、善光寺で安穏を得て極楽往生したことだ。「私もカルカヤ父子にあやかろう」という全国各地からの庶民で、長野の街がにぎわう次第となった。
=写真=修復が行われている石童丸、道心、千里御前の石塔(右から)